虎が首ッ玉にかじりつくのはコンニャク閻魔が似合いだろうと按摩のオギンが大きに腹を立てていたぜ」
「汗顔の至りで、多少身に覚えがありますが、話ほどではないようで。実は、その結城新十郎どののことで御前の御智略を拝借にあがりましたが」
「なにか事件があったかい」
「まことに天下の大事件で、新聞は記事差止め。密偵は津々浦々にとび、政府は目下御前会議をひらいております」
いつもながら虎之介の話は大きいが、御前会議は例外だ。海舟はフシギがって、
「どこかで戦争がはじまったかエ?」
「実は昨夜八時ごろ政商加納五兵衛が仮装舞踏会の席上何者かに殺害されました。当夜の会には閣僚はじめ各国の大公使、それに対馬典六、神田正彦も出席いたしておりました」
さすがの海舟も、神色自若たるものではあるが、口をつぐんで、ちょッと考えこんだ。天下稀代の頭脳、利剣の冴え、飛ぶ矢の早読み、顕微鏡的心眼であるが、事はまことに重大だ。
秘中の秘であるが、時の政府が国運を賭けて計画した難事業があった。当時の日本には、工業らしい工業がなかった。たった年産千トンの鉄工場すらもないのである。十何年も前から汽車が走りだしたが、その機関車もいまだに海外から輸入している。文明の利器というものは、国内では全く造ることができない。文明国の仲間入りをするには工業を興さなければならないし、それには先ず大製鉄所が必要だ。ところが、資本がない。日本の大ブルジョアは貿易とか海運とか、手ッとり早くサヤのとれる事業には浮き身をやつすが、大資本を投下して設備をほどこし、技術の精華をあつめた上で長年月の研究を重ねなければならないような大工業には見向きもしないのである。
時の政府はこれを憂えて、文明国の仲間入りの手始めとして、まず大製鉄所をつくろうと決意した。資本がないから、X国から五百万ポンド借りたいと考えている。五百万ポンドといえば五千万ドル。今の相場なら三千億円ぐらいに当るという大金なのである。
ところが日本が大工業をおこすのを喜ばない国がある。Z国などがその代表だ。後日自分の市場を荒される怖れがあるからである。
そこで総理大臣(十八年十二月までは太政大臣と云った。その前後がちょうどこの捕物の時期に当っているので、官名を史実通りにハッキリかくと秘中の実が知れてしまう。そこで太政大臣をひッくるめて、前後一様に総理大臣とよぶことにする
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