いても」生きられる性質のものであつたかどうか疑問だと思つてゐる。そして現実をむしろ夢想をもつて眺めて、どんな卑劣なことをしても生きぬいてみせると悪魔の如く吠えることを好んだ荒君は、私にはハリアヒのない女の笑ひ顔よりも却つて現実の凄味や厳しさが感じられなかつた。女のハリアヒのない笑顔の中には、悪魔の楽天性と退屈とがひそんでゐたやうに思ふ。
私は六月の中頃だらうか、もう東京が焦土になつてのち、勇気をふるつて「黄河」の脚本を書いた。脚本などとは名ばかりの荒筋のやうなもので、半年以上数十冊の読書の果にたつた二十枚の走り書であつた。もちろん一夜づけであつた。たゞ厄をのがれるといふだけの、然し、この厄をのがれるためにその半年如何に重苦しく過したか、私は新聞で日映の広告のマークを見ただけでゾッとした。
人間は目的のない仕事、陽の目を仰ぐ筈がないと分りきつた仕事をすることが如何に不可能なものであるか、厭といふほど思ひ知つた。
まつたく不可能なのである。私は遂に脚本を書いたが、これは正当な仕事ではないので、たゞ重苦しさの厄をのがれるためといふだけの全然良心のこもらぬ仕事であつた。だいたい、あの戦争の荒廃した魂で、私に仕事のできる筈はない。書きかけの原稿を焼いた私は、私自身の当然な魂を表現してゐたのである。私はたゞ退屈しきつた悪魔の魂で、碁にふけり、本を読みふけり、時々一人の女のハリアヒのない微笑を眺めて、ただ快楽にだらしなくくづれるだけの肉体をもてあそんだりしてゐただけだつた。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「太平 第二巻第一〇号」時事通信社
1946(昭和21)年10月1日発行
初出:「太平 第二巻第一〇号」時事通信社
1946(昭和21)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年7月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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