しの電話をかけてよこした。彼は二人の文科生を目の前に置き、酔つぱらつて、大いにくだをまいてゐたが、僕をみると、「お前さんはフレンドシップがわかる人だよ」と悦に入つて手を握り、突然学生の方に向き直つて、ちえッ、舌打ちと共にひよつとこの如き悪相を突きだした。
「性欲がなんでい。ロマンスなんて、こきたねえ小説は、俺はでえきれえだ。よつぽど年季を入れねえと、フレンドシップまでは分らねえや」と威張つてゐた。
 彼は自殺の三日前、僕がその塔中に住むところの菊富士ホテルへ移転の決意をかためたが、志を果さぬうちに、死の国へ移住した。
 僕の知る限りに於て、彼が本郷へ現れたのは、この一夜にしかすぎないのだが、本郷を歩いてゐると、僕は屡々《しばしば》あの一夜の牧野信一を思ひだすのだ。その後本郷の飲み屋に於て、飲んだくれは数限りなく会つてゐるが、フレンドシップなどといふ怪しいまでに粋なことを論じてゐる御人に会はないせゐかも知れない。

 本郷の街路樹下を最も颯爽と歩く人物は中島健蔵先生であると、先日一文科生が僕に語つた。京都では、学生の横行に散々悩まされた僕であるゆえ、本郷の街路樹下を最も颯爽と闊歩する人物が学生に否ず、実にわが健蔵先生であるときいて慶賀に堪えない思ひなのである。健蔵先生、如何となす。



底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
   1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「帝国大学新聞 第七二五号」
   1938(昭和13)年6月20日発行
初出:「帝国大学新聞 第七二五号」
   1938(昭和13)年6月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:今井忠夫
2005年12月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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