かつ》てこのやうな目覚しい妖艶な成熟を見たことがなかつたのは、さういふ世界に縁がなかつたせゐでもあるが、その未熟なころの肢体を知つてゐるといふことが今では意外な遺恨を深めてゐるやうだつた。夏川は時にいさゝか迷つたものだ。金さへあれば、再び、と。
 然し、意外な伏兵はそれではないので、娘と夏川とのつながりがかうあつさりと断たれると、母親の五十ちかい情炎が代つて働きかけてきた。同時にヒロシのひたむきな情熱が陰にこもつて差向けられてきたので、夏川もこれにはほと/\困つたものだ。五十女の情炎などと或ひは詩人は歌ふかも知れぬが、夏川は昔からゴヤの絵は好きではない。この母親も娘の頃は美しかつたに相違なく、その面影は今もいくらか残つてゐる。根が善良で、小心で、慎み深い人であり、亭主に死別しなければ誰にもまして貞淑な人であつたに相違なく、およそ淫奔の性ではない。月経閉鎖期のこの年頃は特殊なものだといふことだが、時代が時代で、思ひつめて育てあげた一人娘は闇の女になる。条件がそろつてゐるからえゝマヽヨと怪しからぬ気分になるのも尤もだが、痛ましくて、悪く言へば正視に堪へざる醜悪さで、白昼見られたものではない。ところが人の子の悲しさに、この妖怪じみたものまで、むしろ妖怪じみてゐるために、いつとなく酒に酔つた夏川は好色をそゝられるやうになつてきた。いくら酔つてもさすがに抑へる気持がある。けれども一日雨ふりのつれづれに酒をのむと三人ながら酔ひ痴れて、みだらなことが当り前のやうな気分になつたとき、思はず夏川がその気になると、それまで最もだらしなく色好みに見えた五十女が急に顔色が変つて、なんとも立つ瀬がないやうな困却しきつた顔になつた。そのために夏川は理性をとりもどすことができたが、花咲く木には花の咲く時期がある、といふことを思ひ知らずにゐられなかつた。
 女の青春は人間の花で、羞恥も恐怖も花の香におのづと色どられてゐるものだ。然し、その花はいつかは萎《しな》び、今夏川が眼前に認めたものは、花の時節が過ぎたといふ、たゞそれだけのものではなかつた。花の佳人が住み捨てたあとの廃屋に、移り住んだ別の住人がゐるのである。この住人は夢も、あこがれも、甘さも知らず、たゞ現実の汚さを知るだけだつた。困却しきつたその顔が語つてゐるのである。私は汚いお婆さんさ。そのお婆さんが可愛い筈はないぢやないか。それを承知で口説かうといふお前さんが怖しい、と。
 夏川は自分の四囲の環境やその習性が、どこか大事な心棒が外れてゐるといふことを考へなければならなかつた。みんながあまり自分の「花」にまかせすぎてゐるのだ、と思つた。娘は花の如く妖艶であり、その母は虫の如くにうごめいてゐた。けれども二つは別物ではなく、娘もやがて虫となる。花の姿の娘に、花の心がないからだ。だから、虫にも、花の心が有り得ない。自分の心とても同じことだと考へて、夏川はうんざりした。
 そのとき虫が困りきつた顔をそむけて、もう十年若ければねえ……ふと呟いたものである。夏川が宿酔《ふつかよい》の頭に先づ歴々《ありあり》と思ひだしたのがその呟きで、もう十年若ければねえ……アヽ、もう遅い。女はさうつけたして呟いたやうな気がする。それは夏川の幻覚であらうか。否、幻覚ではなかつた。アヽ、もう遅い、然し、女はさう呟いたのではない。もう十年若ければ……あゝ、齢《とし》だ……たしかにさう呟いたのであつた。
 その呟きは虫のやうに生きてゐた。アヽ、齢だ……何といふ虫だらう、と夏川は思つた。女自体が虫であるやうに、言葉自体が虫であつた。そこには魂の遊びがなかつた。その魂には一と刷毛《はけ》の化粧もほどこされてはゐなかつた。だが、俺自身を見るがいゝ。俺も亦さうなのだらうと考へると、夏川は何よりもわが身が切なかつた。
 三匹の虫のやうな生活にともかく夏川が堪へられたのは、ヒロシといふ虫が趣きが変つてゐたせゐだらう。変態の男といふものは、女の魅力にふりむくことがないものだ。ふりむくことが有るとすればたゞ嫉妬からで、自分は本来女であると牢固として思ひこんでゐるやうである。彼は歌舞伎の女形と云はずに、女優と云つた。えゝ、あたくしは女優でした、と云ふのである。彼は鬘《かつら》や女の衣裳をつけたがりはしなかつた。男姿のまゝ、女であると信じきつてゐるやうだつた。その顔の本来の美しさはオコノミ焼の娘も遠く及びはしないであらう。何よりも潤ひの深い翳があつた。その顔は幼なかつたが、愁ひがあつた。彼の胸にはともかく一つの魂が奇妙な姿で住んでゐたと云ふことができる。その魂はこの現世にはもはや実在しないものだ。歌舞伎の舞台の上にだけ実在してゐる魂で、主のために忠をつくし、情のために義をつくし、あらゆる痛苦と汚辱を忍んで胸の純潔をまもりぬく焔のやうな魂であつた。
 オコノミ焼の主婦は近頃はもう慎みがない。別して娘が現れると特別で、娘とヒロシ二人ならべて、淫売さんとか、闇の姫君とか冷やかしはじめる。蛇のやうな意地の悪い執念で、一度は必ずそれを言はぬと肚の虫がをさまらぬといふ様子である。石の上へねるのかえとか、ずいぶん毎日新聞紙がいることだらうねとか、ヒロシに向つて、お前さんは何かえ膝にワラヂでもはかせなきや石にスリむけやしないかなどゝ聞くに堪へないことを言ふ。娘は馬鹿にしたやうな笑ひを浮べてゐるだけだ。その簡単な方法で自分が勝つてゐることを自覚してゐるからである。情慾に燃え狂つてゐる御本人は母自身なのだ。娘が夜毎にねるといふその石にすら嫉妬してゐるではないか。
 然し、ヒロシの応待には奇妙な風にトンチンカンな気品があつた。彼も返事をしなかつた。たゞ背を向けて悄然と坐つてゐる。きくに堪えないといふ風でもあり、恩ある人の恥さらしの狂態を悲しむものゝやうでもある。彼はかゝる下品卑猥な言辞に対して、かりそめにも笑ひの如きものによつて報いることを知らないのである。彼はともかくこの現実から遊離した一つの品格の中に棲んでゐた。彼は事実に於て淫売である。石の上に寝もしたらうし、膝小僧も時にはすりむいたであらう。然し、ヒロシがその胸にだきしめてゐる品格の灯はその卑小なる現身《うつしみ》と交錯せず、彼はたぶんその現身の卑しさを自覚してはゐないのだ。彼は胸の灯をだきしめて、ともかく思ひつめて生きてゐる。そして彼は下品を憎み、卑猥なる言辞を悲しむが、その言辞を放つ人自体を憎むことも悲しむこともないやうだつた。彼はこの現実から遊離して、まさしく品格の灯の中に棲み、切に下品なるものを憎むが、あらゆる人を常に許してゐるのである。それは畸形な道化者の姿であつたが、又、何人がその品格を笑ひ得ようか。
 然し、夏川は、ねむれぬ夜や、起上る気力とてもない朝の寝床の中なぞで、うそ寒い笑ひの中でヒロシの妙にトンチンカンな気品を思ひ描いてみたものだ。笑ひを噛み殺さずにゐられぬやうな気持にもなるが、又、奇妙に切ない気持になつた。ともかく五十女の情慾と変態男の執念が唐紙の一つ向ふで妙チキリンな伊達ひきの火花をちらしてゐるおかげで、底なしの泥沼の一足手前でふみとゞまつてゐられる。さういふ自分は果して何者だらうかと考へる。彼はよく子供の頃の自分を考へた。小学校の頃は組で誰よりも小心者で、隣の子供の悪事にも自分が叱られるやうにいつもビクビクしてゐたものだ。恐らく誰からもその存在を気付かれぬやうな片隅の、又物蔭の子供であつた。中学の頃から急にムク/\ふとりだしてスポーツが巧くなつたり、力持ちになつたり、いつ頃からか人前へ出しやばつて生きることにも馴れたものだが、かうしてぎり/\のところへくると、オド/\した物蔭の小学生が偽らぬ自分の姿だと思ひだされてしまふのである。
 彼は小さい時から、あくどいもの、どぎついものにはついて行けないたちであつた。五十女の情慾や変態男の執念などは、まともにそれを見つめることもできないやうな気持なのだが、そして、淪落の息苦しさ陰鬱さに締めつけられる思ひであつたが、又、不思議にだらしなく全身のとろけるやうな憩ひを覚えるのはなぜだらう。
 あるとき酔つ払つた夏川が梯子酒といふ奴で娘のゐる屋台のオデン屋へ現れたとき、娘が彼に言つたものだ。
「ねえ、オヂサン。うちのお母さんと関係しちやいやよ」
 夏川は奇妙に沁々《しみじみ》とその言葉を味はつたものである。なべて世の母はその娘の処女と純潔を神の如くに祈り希ふものであるが、老いたる母はその淫売の娘によつて、貞操と純潔を祈り希はれるものであらうか。淫売たる彼女が処女のころ、その母が彼女に就てその純潔を更に激しく祈りつゞけたであらうことを、知るや如何に。因果はめぐる何とかと云ふ通り、さういふことは知つても知らなくても、どうでもいゝことであるらしい。虫の如くに可憐である、といふほかに、いつたい何物があるのだらうか。
「お母さんに男があつちやアいけないのかい」
「だつて、をかしいわよ」
「何が?」
「ねえ、オヂサン」
 そのとき、娘の笑顔は冴え/\と明るかつた。
「闇屋なんか、よしなさいな。みつともないわよ。オヂサンぐらゐの年配の人は、そんなこと、するものぢやないわよ」
 彼も亦、彼女の老いたる母の如くに憐まれてゐるらしい。彼はこのときほど自らの年齢を鋭く突き向けられたことはない。娘はそれを自覚してはゐないのだ。彼女には理知の思想はないのである。たゞ十八といふ年齢の動物的な思想が語つてゐるだけだ。大胆不敵な自信であつた。たゞ本能の自信である。十八といふ年齢が人生の女王であり、そして、それ故、彼女は無自覚な、最も傍若無人な女王であつた。夏川は四十のこの年まで、アヽ齢だ……といふ嗟嘆を自ら覚えたことはない。然し、この時ばかりは理窟ではない、年齢が年齢に打ちひしがれた強烈無慙な一撃に思はず世の無常、身辺に立つ秋風の冷めたさを悟つたものだ。そして十八の娼婦の妖艶な肢体を見直して、まさしくそこに、この世では年齢自体が女王で有り得る厳たる事実を認めざるを得なかつた。夏川は今もなほ自ら淪落の沼底に沈湎《ちんめん》するが故に自らのゐる場所を青春と信じてゐた。青春とは遊ぶことだと思つてゐたのだ。否、々、々。青春とは、かゝるくぎりもないだゞら遊びと本質的に意味が違ふ。樹々の花さく季節の如く、年齢の時期であり、安易なる理性の外に、冷厳な自然の意志があることを悟らざるを得なかつた。
 然し、青春の女王は彼に闇屋をよせと云ふ。オヂサンぐらゐの年配ではみつともないと云ふのだが、傲然と、かゝるぬきさしならぬアイクチを突きつけながら、一ときれの理知も持たなかつた。
「だつて、食へなきや、仕方がないぢやないか」
 夏川がかう言ふと、女は笑ひだして、
「アヽ、さうか」
 と言つたものだ。まことに軽率きはまる唯美家であつたが、それだけに、夏川は失はれた年齢のぎつしりとつまつた重量を厭といふほど意識せずにはゐられなかつたものである。青春再び来らず、といふ。青春とは、それ自らかくも盲目的に充実し、思惟自体が盲目的に妖艶なものだ。
 そして、俺は、と、夏川は自分をふりかへらずにゐられない。十八の娘は、闇の女でも、花があつた。然し、夏川には、花がない。俺の住むところは、どこなのだらう。冬の枯野なのだらうか、沙漠であらうか。何よりも、俺自身は何者であらうか。何のために生きてゐるのであらうか。
 あるとき、夏川は臆面もなく娘を口説いたものだ。これから泊りに行かう、といふわけだ。娘はクスリと笑つて、
「よしてよ。もう、そんなこと、言ふものぢやアないわ」
「だつて、どうせ誰かと泊りに行くのだらう」
「でも、オヂサンとは、だめよ。もう、そんなこと、言つちやいやよ」
「なぜ、だめなんだ」
「なぜでも」
 娘は笑つてゐる。それも亦、まぶしいほど爽やかな笑ひであつた。
 そのときも、然し、娘はやがてまじめな顔になつて、かうきびしく附けたしたものだ。
「オヂサン。お母さんと関係しちやいやよ」
「だからさ。君と泊りに行かうといふのぢやないか」
 ところが夏川はその言葉を言ひ終らぬうちに棒を飲みこんだやうになつてしまつ
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