アイビキ中に楽々と盗むチャンスは部落の全員にあったのである。アリバイ調べなぞもやってはみたがムダだ。部落の全戸数はたった十一戸にすぎないが、警官にとってはその各々が孤立した城であった。城外に援助をもとめる必要はない。彼らはその城に閉じこもる限り安全で、よその出来事に対しては「知らない」という完璧で絶対的な表現があった。知るはずもない。みんなそれぞれ離れている。そして戸外には光もない。彼らが知っていることは中平が「鉢の木」を唸って通過したことだけであった。結局犯人が札ビラをきるまで待つ以外に手がないとあきらめて捜査は打ちきりとなったのである。
しかし、いろいろのことが残った。その第一は中平がフランケンシュタイン化したこと。したがって部落に恐慌が起ったこと。三吉の家庭の事情が悪化したこと。登志がダルマ宿へ身を売ったこと。それらは当然起るべきことではあったが、メートル法の久作が悲劇の中心的人物となったことは意外というほかはない。しかしその素因は他にあった。たまたま中平の盗難を機にそれが発したのであるが、その表面に現れた事柄から我々がこの悲劇を理解することは困難であるかも知れない。我々は感じる動物にすぎないのだということを、この場合に特に思うのである。
メートル法の久作はもともと中平と仲がわるかった。その原因は中平がリンゴ園で成功したに対し、久作はシイタケの栽培に失敗したあたりに発しているのかも知れない。この村には約三十年来三人の進歩的人物がシノギをけずっていたのである。中平のリンゴ園、久作のシイタケその他、及び三吉の保久呂霊薬である。リンゴ園と霊薬は成功したのにシイタケその他が失敗したので、久作は他の二名に遺恨をむすんだらしい。
メートル法という久作の異名は彼がメートル法に反対して戦った長い戦歴から来ている。進歩的人物にふさわしくないことであるが、計算に余分の手間がかかるだけだとフンガイしてメートル法の村内侵入に反対した。せめて部落へ入れるな、せめてわが家へ入れるなときびしく役場や学校へつめよったが、時世には勝てない。彼の三人の子供も父の意志に反してメートル法の教育をうけ、それぞれ兵隊となり、出征して三人ながら戦死した。久作はいまや一人、女房も死に、子も孫もなかった。
久作自身は兵隊に行かなかったので戦争になるまで知らなかったが、鉄砲や大砲が二千メートル射撃イ!
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング