ぼ同じような踊りが行われていると言うのであった。
 この程度にわが国の古い文化に密接な関係があってみると、鞍馬先生のうますぎるおだてに乗るのは危険だと思いながらも、つい六人目の学者になるのも満更ではなさそうだという大きな気持になるのであった。
 さあ按吉がチベット語の伝授を受ける快諾をすると、先生の勇み立つこと、それ教科書だ、辞書だ、文法書だ、参考書だ、チベットの事情に関する紹介書だ、これもやる、あれもやると按吉の膝の上へ積み重ねてくれる。と、按吉がこれをひそかに注意を怠らずにいたところが――というのは、これが相当問題が臭いからで――先生がこれらの書物を忙しく取り出してくる場所が、決して本箱の腰から上に当る場所ではないではないか。してみればこれはもう洗礼を受けたあれである。けれども学問の精神は遥か高遠なところにあるべきだから、按吉は膝の上の書物がたしかに湿っていても、これは神秘な書物だから汗をかいているのだなと考える。印度では糞便の始末を指先でするほどだから言語も多少は臭いなど自ら言いきかすのであった。
 ところが、不思議な因縁で、チベット語はたしかに臭いのであった。というのは、先生は
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