いに意外とはしないようで、彼は新橋の碁会所の常連であった。豊島、川端、村松三初段は全然腕に自信がなくて至って、鼻息が弱いのだが、倉田百三初段の鼻ッ柱は凄いもので、この自信は文士の中では異例だ。つまり、この鼻ッ柱は宗教家のものだろう。政治家なども大いに自信満々のようだが、文士というものは凡そ自信をもたない。
僕と好敵手は尾崎一雄で、これは奇妙、ある時は処女の如く、あるときは脱兎の如く、時に雲助の如く喧嘩腰になるかと思うと、時に居候の如くにハニカむ。この男の碁の性格は一番複雑だ。これ又大いにその文章を裏切っているがやっぱり碁の性格が正しいのだと私は思っている。
文人囲碁会で最も賞品を貰うのは尾崎一雄で、彼は試合となると必らず実力以上のネバリを発揮する。このネバリは尾崎が頭ぬけており、文士の中では異例だ。わずかに、僕がそれにやゝ匹敵するのみで、他の諸先生はすぐ投げだしてしまう。豊島、川端先生など、碁そのものは喧嘩主義だが勝負自体に就ては喧嘩精神は旺盛ではないようで、文人的であり、尾崎と僕の二人だけが素性が悪いという感じである。
文人囲碁会は、帝大の医者のクラブ、将棋差しのチーム、木谷の碁会所クラブなどゝ試合をしたが、勝ったことは一度もない。豊島大将を始め至って弱気ですぐ投げたり諦めたりしてしまうから、他流試合には全然ダメで、勝つのは尾崎と僕だけだ。尾崎と僕は必ず勝つ。相手は僕らより数等強いのだが、断々乎として、僕らは勝ってしまうのである。
尾崎は僕より弱くて、僕と尾崎が文人囲碁会チーム選抜軍のドン尻だが、他流試合ともなると、敵手のドン尻は大概二三級で、本来なら文句なしに負ける筈だが、全く、僕はよくガンバる。こういう闘志は僕の方が、やゝ尾崎にまさっている。
僕が今迄他流試合をして、その図々しさに呆れたのは将棋さしのチームであった。将棋さしのチームは木村名人が初段で最も強く、あとは大概、三四級というところだが、彼らは碁と将棋は違っても盤面に向う商売なのだから、第一に場馴れており、勝負のコツは、先ず相手を呑んでかゝることだという勝負の大原則を心得ている。
相手をじらしたり、イヤがらせたり、皮肉ったり、つまり宮本武蔵の剣法のコツをみんな心得ていて、ずいぶんエゲツないことをやる。こういう素性のよからぬ不敵の連中にかゝっては文士はとてもダメで、実際の力はさしたる相手でない
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