石の冷めたさのやうなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでゐる絶対の孤独、そのやうなものではないでせうか。
 この三つの物語には、どうにも、救ひやうがなく、慰めやうがありません。鬼瓦を見て泣いてゐる大名に、あなたの奥さんばかりぢやないのだからと言つて慰めても、石を空中に浮かさうとしてゐるやうに空しい努力にすぎないでせうし、又、皆さんの奥さんが美人であるにしても、そのためにこの狂言が理解できないといふ性質のものでもありません。
 それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとゝいふものは、このやうにむごたらしく、救ひのないものでありませうか。私は、いかにも、そのやうに、むごたらしく、救ひのないものだと思ひます。この暗黒の孤独には、どうしても救ひがない。我々の現身《うつしみ》は、道に迷へば、救ひの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷ふだけで、救ひの家を予期すらもできない。さうして、最後に、むごたらしいこと、救ひがないといふこと、それだけが、唯一の救ひなのであります。モラルがないといふこと自体がモラルであると同じやうに、救ひがないといふこと自体が救ひであ
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