れません。けれども、彼の生活に根が下りてゐないにしても、根の下りた生活に突き放されたといふ事実自体は立派に根の下りた生活であります。
つまり、農民作家が突き放したのではなく、突き放されたといふ事柄のうちに芥川のすぐれた生活があつたのであります。
もし、作家といふものが、芥川の場合のやうに突き放される生活を知らなければ、「赤頭巾」だの、さつきの狂言のやうなものを創りだすことはできないでせう。
モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思ひません。むしろ、文学の建設的なもの、モラルとか社会性といふやうなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思ふものです。
もう一つ、もうすこし分り易い例として、伊勢物語の一つの話を引きませう。
昔、ある男が女に懸想して頻りに口説いてみるのですが、女がうんと言ひません。やうやく三年目に、それでは一緒になつてもいゝと女が言ふやうになつたので、男は飛びたつばかりに喜び、さつそく、駈落することになつて二人は都を逃げだしたのです。芥の渡しといふ所をすぎて野原へかゝつた頃には夜も更け、そのうへ雷が鳴り雨が降りだしました。男は女の手をひいて野原を一散に駈けだしたのですが、稲妻にてらされた草の葉の露をみて、女は手をひかれて走りながら、あれはなに? と尋ねました。然し、男はあせつてゐて、返事をするひまもありません。やうやく一軒の荒れ果てた家を見つけたので、飛びこんで、女を押入の中へ入れ、鬼が来たら一刺しにしてくれようと槍をもつて押入れの前にがんばつてゐたのですが、それにも拘らず鬼が来て、押入の中の女を食べてしまつたのです。生憎そのとき、荒々しい雷が鳴りひゞいたので、女の悲鳴もきこえなかつたのでした。夜が明けて、男は始めて女がすでに鬼に殺されてしまつたことに気付いたのです。そこで、ぬばたまのなにかと人の問ひしとき露と答へてけなましものを――つまり、草の葉の露を見てあれはなにと女がきいたとき、露だと答へて、一緒に消えてしまへばよかつた――といふ歌をよんで、泣いたといふ話です。
この物語には男が断腸の歌をよんで泣いたといふ感情の附加があつて、読者は突き放された思ひをせずに済むのですが、然し、これも、モラルを越えたところにある話のひとつではありませう。
この物語では、三年も口説いてやつと思ひがかなつたところ
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