は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身《うつしみ》は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一《ゆいいつ》の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
 私は文学のふるさと、或《ある》いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。
 アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。……
 だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています。



底本:「堕落論」新潮文庫、新潮社
   2000(平成12)年6月1日発行
   2004(平成16)年4月20日5刷
初出:「現代文學 第4巻第6号」
   1941(昭和16)年8月号
入力:うてな
校正:noriko saito
2006年7月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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