の頃から人の物を横どりするのに才腕をあらわすようになった。
 左側の生徒が使っているナイフをそッと掌中に握る。これを右手の掌中に持ちかえて、右側の生徒の机の下からそれを拾いあげたようなフリをする。そして右側の生徒にきく。
「これ、キミのだろう?」
「オレんじゃないね」
「そうかい。キミの足もとに落っこってたんだが、じゃア持主がないんだね。もらっとこう」
 と自分のポケットへおさめてしまう。そのナイフを買う金に不自由のない彼だから、ナイフが欲しいわけじゃない。左側の生徒がそれに気附いて、
「オイ、よせよ。それ、オレんだよ」
 と云ってくるのがツケ目なのである。彼の目玉は三角になる。当時はまだ若いから、そうであった。つまり大いに怒るのである。
「キミのナイフがそこに落ちてるはずはないじゃないか。かりにキミのナイフだとしても、ボクが見つけてあげなければ、キミはなくした物なんだぜ。ボクが見つけて拾ったんだからボクの物だよ」
 ここから論戦がはじまるけれども、井田信二の論法は発想が根本的にちがうから論戦にならない。六法全書の論法はフシギに通用の力を失ってしまう。ナイフの所有権は信二の手に帰する結
前へ 次へ
全30ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング