の頃から人の物を横どりするのに才腕をあらわすようになった。
 左側の生徒が使っているナイフをそッと掌中に握る。これを右手の掌中に持ちかえて、右側の生徒の机の下からそれを拾いあげたようなフリをする。そして右側の生徒にきく。
「これ、キミのだろう?」
「オレんじゃないね」
「そうかい。キミの足もとに落っこってたんだが、じゃア持主がないんだね。もらっとこう」
 と自分のポケットへおさめてしまう。そのナイフを買う金に不自由のない彼だから、ナイフが欲しいわけじゃない。左側の生徒がそれに気附いて、
「オイ、よせよ。それ、オレんだよ」
 と云ってくるのがツケ目なのである。彼の目玉は三角になる。当時はまだ若いから、そうであった。つまり大いに怒るのである。
「キミのナイフがそこに落ちてるはずはないじゃないか。かりにキミのナイフだとしても、ボクが見つけてあげなければ、キミはなくした物なんだぜ。ボクが見つけて拾ったんだからボクの物だよ」
 ここから論戦がはじまるけれども、井田信二の論法は発想が根本的にちがうから論戦にならない。六法全書の論法はフシギに通用の力を失ってしまう。ナイフの所有権は信二の手に帰する結末になるのである。
 この鋭鋒は彼の裏庭のタケノコのように目ざましく成長した。しかし、村の人たちは気づかなかった。なぜなら、中学校と大学をよその土地ですごしたからである。終戦後、彼が大学を卒業して村へ戻ってきたとき、村の人々は孤島のジャングルから南方ボケした能なしが復員してきたように彼を迎えたにすぎなかったのである。彼は目立たない存在として何年かすぎた。
 この年、村の青年団が文化祭をやることになった。寄附をつのることになって、幹事数名が帳面をぶらさげて、まず、まっさきに彼のところを訪問した。幹事の中には五助がいた。五助は信二と小学校の机をならべた同級生で、級長であった。口も八丁、手も八丁。青年団のホープなのである。直接信二に会うことができればしめたものだが、たぶん女中がでてきて包み金で追い返されることになろうと胸算用をしていたのである。ところが女中と入れ換って、信二が直々現れた。
 信二は土間からつづいている応接間のドアをあけて、
「さア、どうぞ」
「イエ、寄附なんてえものは、立話に限るようで。さっそくですが」
「ま、どうぞ」
「そうですか」
 顔や口とはアベコベ、五助は内々しめたと
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