遇することは不可能である。即ち諸君は、猥褻名状すべからざる無毛赤色の突起体に深く心魄を打たるるであらう。異様なる臭気は諸氏の余生に消えざる歎きを与へるに相違ない。忌憚なく言へば、彼こそ憎むべき蛸である、人間の仮面を被り、内にあらゆる悪計を蔵《カク》すところの蛸は即ち彼に外ならぬのである。
諸君、余を指して誣告《ぶこく》の誹《そしり》を止《や》め給へ。何となれば、真理に誓つて彼は禿頭である。尚疑はんとせば諸君よ、巴里府モンマルトル Bis 三番地、Perruquier ショオブ氏に訊き給へ。今を距ること四十八年前のことなり、二人の日本人留学生によつて鬘の購はれたることを記憶せざるや。一人は禿頭にして肥満すること豚児の如く愚眛の相を漂はし、その友人は黒髪明眸の美青年なりき、と。黒髪明眸なる友人こそ即ち余である。見給へ諸君、ここに至つて彼は果然四十八年以前より禿げてゐたのである。於戯《ああ》実に慨嘆の至に堪へんではない乎! 高尚なること※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしわ》の木の如き諸君よ、諸君は何故彼如き陋劣漢を地上より埋没せしめんと願はざる乎。彼は鬘を以てその禿頭を瞞着せんとするのである。
諸君、彼は余の憎むべき論敵である。単なる論敵であるか? 否否否。千辺否。余の生活の全てに於て彼は又余の憎むべき仇敵である。実に憎むべきであるか? 然り実に憎むべきである! 諸君、彼の教養たるや浅薄至極でありますぞ。かりに諸君、聡明なること世界地図の如き諸君よ、諸君は学識深遠なる蛸の存在を認容することが出来るであらうか? 否否否、万辺否。余はここに敢て彼の無学を公開せんとするものである。
諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであらうか? 仏蘭西《フランス》、西班牙《スペイン》両国の国境をなすピレネエ山脈を、やや仏蘭西に降る時、諸君は小部落バスクに逢着するのである。この珍奇なる部落は、人種、風俗、言語に於て西欧の全人種に隔絶し、実に地球の半廻転を試みてのち、極東じやぽん国にいたつて初めて著しき類似を見出すのである。これ余の研究完成することなくしては、地球の怪談として深く諸氏の心胆を寒からしめたに相違ない。而して諸君安んぜよ、余の研究は完成し、世界平和に偉大なる貢献を与へたのである。見給へ、源義経は成吉思可汗《ジンギスカン》となつたのである。成吉思可汗は欧洲を侵略し
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