悲願を抱いて、浅草をさまよつてゐたのだ」という一節がある。これをとりだしてどうと云うのではないが、この中に極めて漠然と使われている悲願という言葉、この言葉が私には面白かった。すくなくともこの作者はある漠然としたものではあるが甚だ根強くのっぴきならぬ生の哀愁にかられている。いわばそれがこの作者のいう悲願であろう。そうして、この作品はいわばそののっぴきならぬ生の懊悩が、つまりは悲願とよぶところのものがこれを生み、この作品の方向を決定づけているのだろうと思われる。この作者の懊悩は私に共感できるものだった。
いったいがこの漠然とした悲願、直接に何を祈り何を求めるという当てさえもない絶体絶命の孤独感のごときものだが、これは数十世紀の人間精神史と我々の真実の姿とのあらゆる馴れあいと葛藤を経て、虚妄と真実とがともにその真正の姿を没し去ってしまったところから誕生したものであろうか。自らの実体を掴もうとして真実の光の方へ向おうとすれば真実はもはや向いた方には見当らなくなっていたというような、或いは逆に向き直ったところの自らが、向き直ったときには虚妄の自らに化していたというような、即ちこの悲劇的な精神文化の嫡男が悲願の正体であろうと思う。それ自体を分析しても割りきれる代物ではない。そこには虚妄と真実との全てのカラクリがつくされていて、分析のメス自体がこのカラクリの魔手の中にあるからである。この漠然とした哀愁は畢竟するにその漠然とした形のまま死か生かの分岐点まで押しつめ突きつめて行くよりほかに仕方がない悲しさなのだ。その極まった分岐点で死を選ぶなら、それはそれで仕方がない。併しもし生きることを選ぶなら、(選ぶというよりもそのときには生きる力と化するのであろうが)まことに生き生きとした文学はそこから出発するのだと私は考えている。ドストエフスキーがそうだったのだ。彼の文学は悲願それ自体ではなく、それが極点に於て生きることに向き直ったところから出発したものであった。生き生きとした真に新らたな倫理はそこから誕生してくるに違いない。従而、私は悲願そのものには余り多くを期待しない。我々の時代の多くの若者がこの悲願に追われはじめている。併しその多くの人が途中で誤魔化す、極めて安易な習慣的な考察法へその人生観の方向を逃がして了う、又ある人はその極点へ押しつめぬうちに極めてこれも習慣的な自殺を企ててしまったりする。この悲願を真に正しく押しつめることは甚だ難いのだ。併しやがてこの悲願を正しく渡りきった向う側から新らしい文学が生まれてくるだろうと私は確信している。
「浅草祭」の中に、私と呼ぶ主人公が辻本という友人の源氏屋に誘われるままに街の女の家へあがる。十八という街の女と話を交し、次第に源氏屋口調になる辻本と面白くもない話を交わしたあとで、一向に気持の浮かない主人公は女を買うのは止め、辻本がこんなに金に困っているならこの家に茶代をおき、辻本には足賃をやり、彼と温いものでも食って別れようかと思うのだが、そんなことはわれわれ好みのつまらん見栄にすぎないという気がして、黙って三円の料金を出す、という件りがある。
この「われわれ好みのつまらん見栄」と作者がアッサリ片附けていることが、果してそう片付けていいものかどうか。この一見甚だ辛辣に古い衣を突き破っているように見えるこの作者の「からさ」が、実は甚だ好気分にこの「からさ」に溺れているのであって、この程度の「からさ」は危険ではあるが一向本質的に正しく的をついているとは考えられない。われわれ好みのつまらん見栄といい切ることが逆にこの作者の「からさ」の見栄だと言うことも出来ないことではないと思う。虚妄と真実との累々たるカラクリのあとに築かれた古い習慣を正しく突き破るためには、かように習慣的な「からさ」だけでは不足すぎると私は考える。一見浅薄に見る「あまさ」もやはり正体は複雑な虚妄と真実のカラクリによって掩い隠されているのだ。探究の方向が「からさ」であることは差支えないと思うが、その「からさ」が最後の深さのものであることを希望したい。
私の友人片山勝吉はその文学の発足のときから執拗にこの漠然たる悲願と取り組み、この漠然たる悲しさのみを極めて地道につつましく育てつづけてきた甚だ特異な作家のように考える。彼の日本文学の教養とその甚しい日本趣味とのため、人々は多く彼の懊悩の世界まで古臭いように考えがちであるが、彼の懊悩の世界は全く我々の時代まではなかったところのものである。彼の書く主人公は惚れないうちから諦めているというような、然しそんな尤もらしい恋愛事情なぞとは無関係に、もともと恐ろしい孤独感の中にいる。去年「紀元」に発表した「鋸の音貧し」という作品の中で、主人公は隣の部屋から洩れてくる愛すべき若夫婦者のなんでもない話声をきいているうちに、むろんそれが原因ではないが、急にふらふら立ち上り、縄を吊してどうやらもぞもぞと首をくくろうとしはじめる。どうも読んでいてその重苦しい漠然たる人生苦がやりきれなくなるのだった。ところが今年の「紀元」新年号に書いた「山茶花の庭」で、これも惚れないうちから諦めていた一人の娘との別れに自作の白粉を餞別しようと思って、自分ではその壺へ「長相思、思ひ何ぞ長き――」というような詩をひとつ気取って焼きこんでやろうと思っているうちに、ついなんとなく焼きこんだのが「古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し」という蕪村の句である。その壺を見た友人達が、壺をひねくりながら、どうもこの壺は露骨で厭味ですねと会話をしているあたり、全くやりきれない暗い鬼気に打たれざるを得ない。前作の首をくくる時よりは彼の悲願がずっと深められた不気味なものに進んでいるのだ。私は時々、あいつもう自殺をするんじゃないかと思ってしまう。自殺をするならそれはそれで仕方がない、とにかく真向から漠然たる悲願に組みついてあくまで執拗に突きつめている彼の態度には貴いものがある。併しながら繰返して私は主張したいが、悲願そのものに私はすぐれた文学を期待することができないのだ。それが突きつめた極点で生きることに向った時、そこから新らしい倫理が発足するのだと思う。
ところが川端氏の「からさ」に対比するわけではないが、片山がその孤独感をおしつめてゆく態度が凡そ完全に「あまい」のである。川端氏がわれわれ好みの見栄と考えて三円の料金であっさり女を買ってしまうところを、片山はそういう「からさ」には一向てれずに辻本には足賃をやりその家には茶代を払い殊に女には簪ぐらい買ってやろうという気持まで起さないとは限らない。だが、そういう甘い気持によってその悲願をまぎらしたり、又その悲願がそういうことで慰むのかといえば、凡そ完全にそういうことはない。彼の場合その甘さは深まりゆく悲しさには全く無関係なのであって、そういう甘さは全く彼には傍系的なものであり、いわば彼は彼のまことの悲しさとは別の場所に茶番をしているのであった。だから彼の甘さには時々彼の悲しさから鬼気が伝わってゆくのである。併しながら、その甘さが単純な甘さで終っていないからといって、私は必ずしも之を高く評価しない。
由来甘さというものはその正体が消極的なのだ。積極的な力となって彼の悲願の進路をねじまげるというような障りとなることが全くない。その点悲願を深めるに都合はいいが、生き返ってくる力が乏しい。この反対に「からさ」は積極的である。理知的であり批判的なものである。ここには生き返る可能性を自らの中に蔵している。私としてはこの二つの態度のうち躊躇なく「からさ」の方をとるものであるが、何分積極的に作用してくるだけに自らの罠へ自ら落ちこんでしまうことが甚だ多くあるように考えられる。罠へ落ちずに渡りきろうというのが余り勝手な考えで、或いは幾度も罠にかかり罠を逃れて行く必要があるのかも知れぬ。併しそれはとにかくとして、このことは断言してもいいように思う。「からさ」は「あまさ」を否定することによって達成せられるものではない、又習慣をつき破るということが決して単純に習慣の反対を行うことではないだろう。正、反、合とか止揚とかいう単純な法則が数十世紀の虚妄と真実との複雑なカラクリをかけた我々の精神へ倫理へそのまま適用されることなぞ決して想像することができないのだ。まことの問題は、そこで作家の魂が救われるかどうか、ということ、ただこの一点あるのみである。
[#地付き]『作品』昭10[#「10」は縦中横]・3
底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社
1982(昭和57)年8月12日第1刷発行
初出:「作品」
1935(昭和10)年3月
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月16日作成
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