げるというような障りとなることが全くない。その点悲願を深めるに都合はいいが、生き返ってくる力が乏しい。この反対に「からさ」は積極的である。理知的であり批判的なものである。ここには生き返る可能性を自らの中に蔵している。私としてはこの二つの態度のうち躊躇なく「からさ」の方をとるものであるが、何分積極的に作用してくるだけに自らの罠へ自ら落ちこんでしまうことが甚だ多くあるように考えられる。罠へ落ちずに渡りきろうというのが余り勝手な考えで、或いは幾度も罠にかかり罠を逃れて行く必要があるのかも知れぬ。併しそれはとにかくとして、このことは断言してもいいように思う。「からさ」は「あまさ」を否定することによって達成せられるものではない、又習慣をつき破るということが決して単純に習慣の反対を行うことではないだろう。正、反、合とか止揚とかいう単純な法則が数十世紀の虚妄と真実との複雑なカラクリをかけた我々の精神へ倫理へそのまま適用されることなぞ決して想像することができないのだ。まことの問題は、そこで作家の魂が救われるかどうか、ということ、ただこの一点あるのみである。
[#地付き]『作品』昭10[#「10」は縦中横]・3



底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社
   1982(昭和57)年8月12日第1刷発行
初出:「作品」
   1935(昭和10)年3月
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月16日作成
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