て茶を所望した折、花井訓導と次のような会話をした事実である。花井訓導はまだ独身の若い生マジメな教員であった。
「この平和な村にも今に殺人事件があるかも知れませんな。もとえ。平和な村と云いましたが、平和そうな村、です。平和なところなんて、もう、日本のどこにもありませんよ」
と花井が云った。この会話の起りは、そのころ県の新聞を賑わしていた県都に起った情痴殺人事件からであるから、以下の会話は不自然な推移ではなかった。
人見「そんな妖気がこの村に現れていますかな」
花井「いますとも。日蓮行者のサヨなぞは殺されないのがフシギですよ」
サヨは村ではただサヨで通るほど有名であった。東京で女中奉公していたが、終戦後帰郷して結婚。二年前に良人《おっと》が死んだ。それ以来とかくの噂が絶え間がない。しかし彼女が淫乱なのは、日蓮行者になったのと同じように、生活のためでもあるらしい。独身の無学な女が畑も持たずに山中の村では暮しの立てようがないかも知れないからである。殺されたとき、まだ二十七だった。云われてみれば、人見にも思い当ることはあった。
人見「なるほど。あの女がもとで殺人騒ぎが起ってもフシギはないかも知れませんな」
花井「それ、ごらんなさい。あなたもそう思うでしょう。サヨは必ず殺されますよ。近いうちに、殺されます」
人見「必ず、というのは、どうですか。ともかく、何かあってもフシギはありませんな」
花井「必ず、ですとも。必ず殺されなければならない法則があるものですよ。サヨの場合がそうです」
人見「その法則とは?」
花井「いずれ事実が証明しますよ」
そのとき同席していた平戸先生が「お先きに」と立ったので、人見も「では私も」と立って花井に別れをつげ平戸先生と肩を並べて校門をでた。
平戸先生は独身の若くて美しい婦人であった。この日は平戸先生が日直、花井訓導が宿直の当番で、ちょうど交替の夕刻であった。花井は平戸先生に求婚して拒絶されたという風説があった。
人見が「やっぱり」と思ったのは、この記憶のせいであったが、むしろ犯人に花井をふと聯想して怯えたり慌てたりしたのかも知れなかった。
★
村の駐在所に捜査本部ができて、連日人々が出入した。二週間すぎたが、容疑者はあがらなかった。サヨと交渉のあった男たちはそれぞれアリバイが成立して容疑の余地がなくな
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