る。強迫観念である。そのアゲク、奴は、本当に、華族の子供、天皇の子供かなんかであればいゝ、と内々思って、そういうクダラン夢想が、奴の内々の人生であった。
 太宰は親とか兄とか、先輩、長老というと、もう頭が上らんのである。だから、それをヤッツケなければならぬ。口惜しいのである。然し、ふるいついて泣きたいぐらい、愛情をもっているのである。こういうところは、不良少年の典型的な心理であった。
 彼は、四十になっても、まだ不良少年で、不良青年にも、不良老年にもなれない男であった。
 不良少年は負けたくないのである。なんとかして、偉く見せたい。クビをくゝって、死んでも、偉く見せたい。宮様か天皇の子供でありたいように、死んでも、偉く見せたい。四十になっても、太宰の内々の心理は、それだけの不良少年の心理で、そのアサハカなことを本当にやりやがったから、無茶苦茶な奴だ。
 文学者の死、そんなもんじゃない。四十になっても、不良少年だった妙テコリンの出来損いが、千々に乱れて、とうとう、やりやがったのである。
 まったく、笑わせる奴だ。先輩を訪れる、先輩と称し、ハオリ袴で、やってきやがる。不良少年の仁義である。
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