た。その顔全体がシワだらけで、安物の赤いノリでつつんだお握りのようであった。木ノ葉天狗もお握りも先祖代々この山中の住人だそうだ。
三人の考古学者はあとで噴きだして、語り合った。
「この旅館は全然原始人の経営ですね」
「それにしては、自家発電もあるし、ワカシ湯もあるし、進取の気象に富んでるじゃないか」
「それでいて、滝にうたせようッて気持が分らないわね」
「そこが本能のアサマシサですよ。自家発電のかたわら、石器も用いているかも知れないねえ」
こうして、黒滝温泉の生活がはじまったのだが、それはもう、いきなり別世界へ叩きこまれたように異様なものであった。
ややロマンチックに
まっさきに一風呂あびてきた一夫は上気して、やや夢みるような面持で戻ってきた。彼はいま経験したばかりのことを思いだすのに骨が折れそうな風に物語るのである。
「お風呂に娘と少年がいたんですよ。ボクもね、チャーチル会をマネたわけじゃないけど、会員組織で油絵だのヌード写真だのやってるから女の裸体は見つけてるんですよ。だけどね、ボクという若い男性の前で、まるで着物を着てる時と変りのない当り前の様子で、全裸の姿を惜しげもなく見せている娘なんて、いやしませんでしたよ。平気で裸体を見せる女はいますけど、その場合は、平気という構えなんですね。裸体を意識しての平気なのです。あの娘は違うんです。着物を着てる時と同じように、自由なのです。澄みきってるのですね。無邪気というよりも、利巧なんでしょうね。とびぬけて利巧なのだと思いましたよ。それに、すばらしく美しいですね。顔ばかりじゃなく、身体全体が……」
熱病にとりつかれたような様子である。初音サンはよろこんで、
「そうお。彼女はそんなに大胆不敵? 私も、やろうッと」
タオルや化粧道具をつかんで急いでお風呂へでかけた。美女観察のためでもあるらしかった。ところが彼女は怒って戻ってきた。
「私が行ったらね、彼女はもう着物きてるところだったわ。変に私を見つめるのよ。そしてね、お姉えチャン美人ねえハイチャ、だって。バカにしてるわよ」
「初音サンの態度が悪いからさ。物見高い気持を利巧な彼女に見破られたのさ」
「なにが物見高いのよ」
「まア、止しなさい。私も一風呂あびてこよう」
と梅玉堂もタオルをぶらさげて出かけたが、廊下にそれを待っていたように娘と少年が壁にもたれて並んでいるのである。彼がその前を通りすぎようとすると、
「デブチャーン。コンニチハ――」
わざと声を細めて先ず呼びかけたのは姉の方である。すると弟がそれにつづいて、
「百貫デーブ、大きいな」
梅玉堂は小心だから、子供にからかわれても羞しくて赤くなるのである。首スジまで赤くなるタチであった。少年は目ざとくそれを見つけて、
「ワーイ。赤くなッたぞ。百貫デーブのタコ入道!」
梅玉堂は命のちぢまる思いをしたのであった。彼は戻ってくると、云った。
「とびぬけて利巧な娘だなんて、笑わせるじゃないか。不良少女だよ」
「そんなこと、あるもんですか。ボクは彼女と話を交したから分ります」
「バカな」
「お父さんは何を見てきたのです?」
「オレが見たのは裸体じゃないから、お前のように目がくらみゃしないのさ」
と、梅玉堂は言葉を濁してごまかした。からかわれたのを正直に白状する勇気がなかったのである。
そこへ少年がやってきた。お盆の上に蒸したジャガイモを幾ツかのせて、彼は三人の大人をいささかも怖れる様子なく、
「これ食べて下さいとさ。それから、兄さんだけお茶一しょに飲みましょう、だとさ。おいでよ」
「そうかい。待ってよ」
一夫は二ツ返事でタバコとライターを握って立ち上り、それから、ふと思い直して、いささかも悪びれるところなく学生服に着代え、二人を尻目に悠々と立ち去ったのである。
「兄さんだけ、ですッて。バカにしてるわね」
旅館の犬が庭にウロウロしているのを見ると、初音サンはジャガ芋をとりあげて投げた。犬は逃げてしまった。
すると、まもなく少年がきて、
「モッタイないから、ジャガ芋返しなさい」
「もらッたものは、私の物よ。犬にやっても鶏にやっても、かまやしないでしょう。アッ、そう、そう。あなたにいいものあげるわよ」
初音サンは少年を手なずけて、仕返ししてやりましょうと考えた。リュックの中からアップルパイと桃のカンヅメをとりだして、少年を部屋へよびこんで、御馳走した。
「どう? おいしいでしょう?」
「センベの方が、うめえな」
「これ、桃よ。おいしいでしょう」
「オレのウチの桃はもッとうめえ」
「オウチはどこ?」
「オレが云うても、おめえ知るめえ」
「理窟ッぽいわね。あなたの村の人たち、みんな、そう?」
「オレの村の者は、頭がいいな」
「あんた、ちッとも可愛くないわね」
「東京の者は、こんなもの食べてるのか」
「そうよ。もっと、もっと、おいしいもの食べてるわよ。オセンベだのシャガ芋の蒸したのなんか食べないわよ」
「モンジャ焼知らねえだろ」
「知らないわね」
「うめえぞ。東京の奴らに食べさせてえな」
「あんた、コーヒー好き?」
「アメリカ物はきれえだよ」
「コーヒーはアメリカ物じゃないわよ」
「きッとか」
「そうよ」
「じゃアどこの物だ」
「モカ。ジャバ。ブラジル」
「ブラジルかア。フン」
「ブラジルだけ、知ってたらしいわね」
「ジャバも知ってるよ。リオグランデデルノルデ、知ってるか。知らねえだろ」
「生意気な子ね。あんた、日本の子? アイノコでしょう」
「オレの村は日本一の村だ」
「もう、いいから、帰ってちょうだい」
たまりかねて、御帰館ねがったのである。少年は悠々と立ち上って、
「ジャガ芋、よこせ」
盆ごと持ってガイセンしてしまった。初音サンは毒気をぬかれてしまったらしい。
「田舎の子供ッて、みんなあんなかしら」
「まさかねえ」
「世間知らずのくせに、全然負けぎらいね。自分の村が日本の中心だと思ってるらしいわね。にくらしい」
「世間知らずと思えば腹も立ちませんよ」
「腹が立つわ。あれは、ほんとにあるのかしら。リオ、何とか、ノル、デル、ノル」
「リオグランデデルノルデ。アメリカとメキシコ国境を流れてる河の名ですよ」
「あら、そうお。アパッチくさい名だと思った。あなたまで変なこと知ってるわね」
八ツ当りであった。一夫は日本一の村の娘にとらわれてしまったらしく、いつまでも戻ってこない。時々、ゲラゲラとバカ笑いの声がきこえてくるのである。初音サンは村童に侮辱をかい、一夫には裏切られ、はじめて梅玉堂に向って何となく心に通うものを感じたようであった。
タソガレになった。ヒグラシが鳴いている。いくつかの滝の音が谷底いっぱいに立ちこめている。
「散歩しましょうよ」
「ハイ。そうしましょう」
宿の下駄がすごかった。昔はたしかに下駄屋の下駄であったらしいが、初代の鼻緒は失われて、ワラ縄の鼻緒である。
「ワラジと下駄のアイノコだなア。歩くうちに切れそうだ」
「気をつけて歩きましょうね」
ところが、あろうことか、吊橋の上で梅玉堂の鼻緒がプッツリ切れたのである。前へのめるのを力をこめて踏みとどまった。二十三貫五百の巨体がよろけたから、吊橋がゆれた。
「キャアッ!」
と今にも初音サンが重心を失いそうになったとき、トントンと前へのめッて、ちょうど初音サンの後に近づいた梅玉堂が必死に抱きとめた。両側に手スリのようなのはあるが、足場は板が一枚だから、踏み外せば、谷底へズリ落ちてしまう。
「シッカリして下さいよ。相すみません。あなたを殺すところだった。下駄の鼻緒が切れちゃって、よろけたのです。でも、よかった。アア、ビックリした」
「抱きしめて。手を放しちゃダメ。目がまわる。自分で支えられないわ」
「もう大丈夫だから、シッカリして下さい」
「ええ、でも、そう、にわかに元に戻らないわ」
「ジッと目をつぶッてらッしゃい」
「ええ。耳鳴りがしてるのよ」
初音サンは梅玉堂の手首を汗がにじむほど握りしめていたのである。意識が戻ってきた。後から抱きしめている梅玉堂の体温がしみわたる。云いようもない快感だった。そこでわざと一二分、まだ意識モーローたるフリをした。可愛いい罪悪感。そして、梅玉堂がいとしいような、なんとなく仇《あだ》めいた気持になった。
「もう、いいわ。放してちょうだい」
「ほんとに、大丈夫ですか」
「ありがと。もう、いいのよ」
初音サンはスタスタと吊橋を渡った。対岸へついても梅玉堂の足音がきこえないから振向いてみると、梅玉堂は吊橋の真ン中へんに尻モチついている。
「どうかしたんですか」
「下駄が片ッ方見えなくなりましてねえ。先祖代々履き古してきた家宝の下駄らしいから探してるんですが……」
「探さなくッたッて分るじゃありませんか。たった一枚の板の上ですもの。そこになければ谷底へ落ッこッたのよ」
「どうも、そうらしいですな」
せッかくロマンチックになりかけたのに、何たることだ。初音サンはウンザリしてしまった。
ホラ穴の美女
翌朝は考古学探険隊案内のため、お握りジイサンが早朝からきて、一同の朝の目ざめを待っていた。一同はかなり早く目がさめたのだが、それからが大変なのである。まず、顔を洗い、便所へ行く。この便所が大変だ。先祖代々掃除をしたことがないらしい。初音サンは前晩から泣きほろめいていたのである。
「ボクたちが来るまでは、もっと汚なかったんですッてさ。あのバアサンが堪りかねて、汚い物を始末して、とにかく今のようにしてくれたんだそうですよ。バアサンの孫娘の人、例の美人ね、オ花チャンと云うんですよ。あの人が便所へ行こうとしないから決死の思いで、あそこまでキレイにしたんだそうですよ」
「あれで掃除したの?」
「そうですッてさ。あれ以上はどうにもならないそうですよ。それでね。オ花チャンは今でも便所へ行かないそうですよ」
「どうしてるの?」
「谷底へ降りて、滝にうたれて用をたしてくるらしいですね」
「夜は?」
「夜もそうらしいですよ。バアサンと二人で、ゆうべもおそくなって外へ出て行きましたよ」
「呆れたわね」
「娘らしく、潔癖で、可愛いいですよ」
「潔癖でなくて、悪かったわね」
初音サンは立腹して、ズシン/\と足音高く便所へ乗りこんでいった。汚らしいものに着物や身体の一部がさわらぬように、異常なまでに注意を集中しなければならない。初音サンは戸の開けたてにも紙をだしてつまむ。便所から出てくると疲労コンパイして、グッタリしてしまうのである。
ようやく一同の入浴も終り、食事も終る。食事は木ノ葉天狗のジイサンが御飯とミソ汁を持ってきてくれるだけだ。カンヅメを持参したから良かったが、それにしても、御飯は麦だし、ミソ汁は全然塩ッぽいお湯のようだ。事ごとにロマンチックのアベコベだ。ハシャイでいるのは一夫だけで、
「ボクは考古学研究は辞退しますよ。オ花チャンの招待がありますのでね。ボクが行かない方がお父さんたちもロマンチックでよろしいでしょう」
またしても一夫に裏切られてしまったが、いざ出発の用意となると、お握りのジイサンの注意が厳重をきわめるのである。汚い洋服、キャハン、ワラジ。そんなことを云ったって、用意のないものは仕方がない。
「いいわよ、泥んこになったッて」
「それじゃ、ワラジだけ穿きなさい」
よそから二人の足に合うような古びた地下タビを探しだしてきて、その上に、ワラジをはかせた。地下タビは穴だらけなのだ。初音サンは幸いにもズボンを一着もってきたので、それが役に立ったのである。
用意ができて出発した。昨日来た道、自動車の止ったところまで大迂回して、谷の向う側の頭上へいったん戻ってくるのである。バカバカしい迂回だが、そこまではワラジをはくほどの難路ではない。
足下に断崖があり、目の下に旅館があり、滝が見えた。梅玉堂が叫んだ。
「アッ! 滝壺に人が。ヤ、例の娘だ」
「アハハ。あの娘は滝壺へ用たしに行くだよ」
娘は全裸で滝壺に遊んでいる。用をたしているのかも知れない。夏と
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