が便所へ行こうとしないから決死の思いで、あそこまでキレイにしたんだそうですよ」
「あれで掃除したの?」
「そうですッてさ。あれ以上はどうにもならないそうですよ。それでね。オ花チャンは今でも便所へ行かないそうですよ」
「どうしてるの?」
「谷底へ降りて、滝にうたれて用をたしてくるらしいですね」
「夜は?」
「夜もそうらしいですよ。バアサンと二人で、ゆうべもおそくなって外へ出て行きましたよ」
「呆れたわね」
「娘らしく、潔癖で、可愛いいですよ」
「潔癖でなくて、悪かったわね」
 初音サンは立腹して、ズシン/\と足音高く便所へ乗りこんでいった。汚らしいものに着物や身体の一部がさわらぬように、異常なまでに注意を集中しなければならない。初音サンは戸の開けたてにも紙をだしてつまむ。便所から出てくると疲労コンパイして、グッタリしてしまうのである。
 ようやく一同の入浴も終り、食事も終る。食事は木ノ葉天狗のジイサンが御飯とミソ汁を持ってきてくれるだけだ。カンヅメを持参したから良かったが、それにしても、御飯は麦だし、ミソ汁は全然塩ッぽいお湯のようだ。事ごとにロマンチックのアベコベだ。ハシャイでいるのは一夫だけで、
「ボクは考古学研究は辞退しますよ。オ花チャンの招待がありますのでね。ボクが行かない方がお父さんたちもロマンチックでよろしいでしょう」
 またしても一夫に裏切られてしまったが、いざ出発の用意となると、お握りのジイサンの注意が厳重をきわめるのである。汚い洋服、キャハン、ワラジ。そんなことを云ったって、用意のないものは仕方がない。
「いいわよ、泥んこになったッて」
「それじゃ、ワラジだけ穿きなさい」
 よそから二人の足に合うような古びた地下タビを探しだしてきて、その上に、ワラジをはかせた。地下タビは穴だらけなのだ。初音サンは幸いにもズボンを一着もってきたので、それが役に立ったのである。
 用意ができて出発した。昨日来た道、自動車の止ったところまで大迂回して、谷の向う側の頭上へいったん戻ってくるのである。バカバカしい迂回だが、そこまではワラジをはくほどの難路ではない。
 足下に断崖があり、目の下に旅館があり、滝が見えた。梅玉堂が叫んだ。
「アッ! 滝壺に人が。ヤ、例の娘だ」
「アハハ。あの娘は滝壺へ用たしに行くだよ」
 娘は全裸で滝壺に遊んでいる。用をたしているのかも知れない。夏と
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