京の者は、こんなもの食べてるのか」
「そうよ。もっと、もっと、おいしいもの食べてるわよ。オセンベだのシャガ芋の蒸したのなんか食べないわよ」
「モンジャ焼知らねえだろ」
「知らないわね」
「うめえぞ。東京の奴らに食べさせてえな」
「あんた、コーヒー好き?」
「アメリカ物はきれえだよ」
「コーヒーはアメリカ物じゃないわよ」
「きッとか」
「そうよ」
「じゃアどこの物だ」
「モカ。ジャバ。ブラジル」
「ブラジルかア。フン」
「ブラジルだけ、知ってたらしいわね」
「ジャバも知ってるよ。リオグランデデルノルデ、知ってるか。知らねえだろ」
「生意気な子ね。あんた、日本の子? アイノコでしょう」
「オレの村は日本一の村だ」
「もう、いいから、帰ってちょうだい」
 たまりかねて、御帰館ねがったのである。少年は悠々と立ち上って、
「ジャガ芋、よこせ」
 盆ごと持ってガイセンしてしまった。初音サンは毒気をぬかれてしまったらしい。
「田舎の子供ッて、みんなあんなかしら」
「まさかねえ」
「世間知らずのくせに、全然負けぎらいね。自分の村が日本の中心だと思ってるらしいわね。にくらしい」
「世間知らずと思えば腹も立ちませんよ」
「腹が立つわ。あれは、ほんとにあるのかしら。リオ、何とか、ノル、デル、ノル」
「リオグランデデルノルデ。アメリカとメキシコ国境を流れてる河の名ですよ」
「あら、そうお。アパッチくさい名だと思った。あなたまで変なこと知ってるわね」
 八ツ当りであった。一夫は日本一の村の娘にとらわれてしまったらしく、いつまでも戻ってこない。時々、ゲラゲラとバカ笑いの声がきこえてくるのである。初音サンは村童に侮辱をかい、一夫には裏切られ、はじめて梅玉堂に向って何となく心に通うものを感じたようであった。
 タソガレになった。ヒグラシが鳴いている。いくつかの滝の音が谷底いっぱいに立ちこめている。
「散歩しましょうよ」
「ハイ。そうしましょう」
 宿の下駄がすごかった。昔はたしかに下駄屋の下駄であったらしいが、初代の鼻緒は失われて、ワラ縄の鼻緒である。
「ワラジと下駄のアイノコだなア。歩くうちに切れそうだ」
「気をつけて歩きましょうね」
 ところが、あろうことか、吊橋の上で梅玉堂の鼻緒がプッツリ切れたのである。前へのめるのを力をこめて踏みとどまった。二十三貫五百の巨体がよろけたから、吊橋がゆれた。
前へ 次へ
全15ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング