カミさん達が活躍していると、着流し姿でゲタゲタ笑いながら見物していたのがこの男で、そのうち俄《にわか》に防空服装に着かえて現れて一人のバケツをひったくったかと思うと、エイとか、ヤーとか、ホーホーという数種類の奇妙な声をかけて水を汲み水を投げ、梯子《はしご》をかけて塀に登り、屋根の上から号令をかけ、やがて一場の演説(訓辞)を始めた。伊沢はこのときに至って始めて気違いであることに気付いたので、この隣人は時々垣根から侵入してきて仕立屋の豚小屋で残飯のバケツをぶちまけついでに家鴨に石をぶつけ、全然何食わぬ顔をして鶏に餌をやりながら突然蹴とばしたりするのであったが、相当の人物と考えていたので、静かに黙礼などを取交していたのであった。
 だが、気違いと常人とどこが違っているというのだ。違っているといえば、気違いの方が常人よりも本質的に慎み深いぐらいのもので、気違いは笑いたい時にゲタゲタ笑い、演説したい時に演説をやり、家鴨に石をぶつけたり、二時間ぐらい豚の顔や尻を突ついていたりする。けれども彼等は本質的にはるかに人目を怖れており、私生活の主要な部分は特別細心の注意を払って他人から絶縁しようと腐心している。門からグルリと一廻りして玄関をつけたのもそのためであり、彼等の私生活は概して物音がすくなく、他に対して無用なる饒舌《じょうぜつ》に乏しく、思索的なものであった。路地の片側はアパートで伊沢の小屋にのしかかるように年中水の流れる音と女房どもの下品な声が溢《あふ》れており、姉妹の淫売が住んでいて、姉に客のある夜は妹が廊下を歩きつづけており妹に客のある時は姉が深夜の廊下を歩いている。気違いがゲタゲタ笑うというだけで人々は別の人種だと思っていた。
 白痴の女房は特別静かでおとなしかった。何かおどおどと口の中で言うだけで、その言葉は良くききとれず、言葉のききとれる時でも意味がハッキリしなかった。料理も、米を炊くことも知らず、やらせれば出来るかも知れないが、ヘマをやって怒られるとおどおどして益々ヘマをやるばかり、配給物をとりに行っても自身では何もできず、ただ立っているというだけで、みんな近所の者がしてくれるのだ。気違いの女房ですもの白痴でも当然、その上の慾を言ってはいけますまいと人々が言うが、母親は大の不服で、女が御飯ぐらい炊けなくって、と怒っている。それでも常はたしなみのある品の良い婆さんな
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