便利に驚いた土民は改めて嘆賞したという。平安朝の昔からこの式で、今に至るもなお、農民は常に今居る現実を善とし真とし美とし、これを改良することを不善とする。改良の精神自体を不善|不逞《ふてい》にして良俗に反するものと反感をいだく始末なのである。
大化改新のとき農民全部に口分田というものを与えた。つまり公平に田畑を与えたわけであるが、良田も悪田も同じに差別なしに税をとる。元々田畑を与えた理由が大地主の勢力をそぐためであり皇室の収入のためであって農民自体の生活の向上ということが考えられていたわけではないから、税が甚だ重い。今日の供出と同じことで農民は不平であり、大いに隠匿米《いんとくまい》もやりたいであろうが、今日と違うところは上からの天下り命令が絶対で人民の権利だの官吏横暴などと法規を楯にする手がないから、泣く子と地頭にはかたれないということになって、逃亡とか浮浪ということをやる。尤も本当は逃げずに戸籍だけごまかすという手もあったに相違ないが、奈良朝だの平安朝の今日残存する戸籍簿に働き盛りの男子が甚しく少いのは名高い話で、つまり逃亡しているか、戸籍をごまかしているのである。逃亡の理由にも色々とあって、国守の苛斂誅求《かれんちゅうきゅう》をさけるだけなら隣国へ逃げてもよい。こういう逃亡は走り百姓といって中世以降徳川時代までつづいていた。けれども税そのものを逃げるという手段もあって、口分田は税をとられるが荘園は国司不入の地であるから自分の田畑を逃げて荘園へ流れこむ。又は自分の土地を荘園へ寄進して脱税をはかるという風潮が全国一般のことになったから、国有の土地が減少して寺領とか権門勢家に所属する荘園がふとって、貴族や寺院は富み栄えて貴族時代を現出する。ところが貴族が都の花にうかれて地方管理を地方の土豪に委任しておくうちに、荘園の実権が土豪の手にうつって武家が興り、貴族は凋落《ちょうらく》するに至る。
表向きの立役者は皇室、寺院、貴族、武家の如くであるが、一皮めくってみると、そうではない。実は農民の脱税行為が全国しめし合せたように流行のあげく国有地が減少して貴族がふとり、ついで今度は貴族へ税を収めるのが厭だというので管理の土豪の支配をよろこび、土豪を領主化する風潮が下から起っておのずと権力が武家に移ってきたので、実際の変転を動かしている原動力は農民の損得勘定だ。
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