につけられる方がよろしいかの。八年ぐらいは夢のうちにすぎてしまう。経文にあることだから、牛になって八年間は働いてもらわねばならぬ」
「お前さん経文にあることだから仕方がないよ。元々お前さんがだらしがなくて返せなかったのだから、牛に生れ変って返さなければいけないよ」
「そうか。なんという情ないことだろう。こんなことになるぐらいなら、もっと早く働いて返せばよかった」
 男はハラハラと涙を流して悲しんだが、仕方がない。その晩、息をひきとった。
 翌朝になって小坊主が門前を掃《は》きにくると牛が一匹しょんぼりしている。別に縄につながれてもいないのに、お寺の門前にしょんぼりして動かないから和尚に告げた。ああ、そうか、よしよし、それではゆうべ死んだものとみえる。それはウチの牛だから今日から野良に使うがよい。オヤ、そうですか。和尚さまが買っておいでになりましたのですか。マア、そうじゃ。どれ、ひとつ、見てやろう、と門前へ出てみると、大変大きなおとなしそうな赤牛だから、うむ、これなら申分なかろう、野良へつれてゆきなさい、と寺男をよんで引渡した。
 ところが、この寺男がなんとも牛使いの荒っぽい男で、すこし怠けても情け容赦なくピシピシ打つ。山へ行けば背へつめるだけの木をつませて、それで疲れてちょっと立止っただけでも大きな丸太で力一ぱいブンなぐる。ゆっくり草もたべさせず、縄をつかんで鼻をぐいぐいねじりまわして引廻すものだから、辛いこと悲しいこと、それでも五年間は辛抱した。そして、とうとう、たまらなくなってしまった。
 その晩から、和尚は毎晩のように、夢の中で必ず牛に蹴とばされる。どうやらスヤスヤ寝ついたと思うと、どこからともなく牛がニューとでてくるのだが、ニューとでてくる、アッと思うともうダメなので、逃げるに逃げられず追いつめられて、そのときキンタマをいやというほど蹴とばされるのである。その痛いこと、全身ただ脂の汗、天地くらむ、ムムム……蹴られぬさきに蹴られる場所も痛さも分るその瞬間の絶望がなんともつらい。
 これが毎晩々々のことだ。和尚もいまいましくて仕方がない。夢のことだから別にキンタマが腫《は》れあがりもしないけれども、憎らしいことだから、ある日牛を見に野良へでると、牛は寺男にひき廻されておとなしく働いており、和尚を認めると、急にしゃくりあげてポロポロと泣きだした。それが如何にも悲し
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