係が有るようで無いような記事がでているけれども、めいめいの個人生活に直接の記事というものは一生に何度も見かけやしない。
ところがミヤ子の場合は、たとえば彼女の情夫たちの名前なぞがいつ新聞に現れてもフシギではないのだ。
グズ弁にしても、右平にしても、誰もタダモノだと思っていない。ヤミ屋にしては金まわりが良すぎるし、その割に服装なぞが悪いから、右平の方は泥棒だろうということが定評になっている。相当世間を騒がしているお尋ね者の一人じゃないか、否、十中八九その一人だという風にミヤ子自身も考えているのだ。
そのくせミヤ子はいま世間ではどんなお尋ね者が騒がれているのだろうと知るために新聞を読む興味を起したことが一度もない。
つまり右平が泥棒でも人殺しでもかまわないのだ。そんなことには無関心なのだ。世間的に何者であろうともかまわない。グズ弁や右平の勤め先も住所も本名すらも彼女は知らない。それが彼女の東京の真ン中に於ける日常生活であった。
おまけに彼女はグズ弁からも右平からも熱烈に結婚を申込まれており、それに対して彼女の返答は同じように「あの人がいなければね……」ということであった。つまり、一方が死ねばとは云わないけれども、居なければねということは存在しなければねということで、要するに殺せばそうなるという結論はギリギリのところそれしかない。そして二人はたがいにそれを当然考えはじめているのであった。
都会の中にも、農村にも、こんな孤島は方々にある。そして、そこでも、アナタハンと同じような事件が奇も変もなく行われているのである。
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グズ弁はもう四十一であった。彼は勤め先のことや、家庭の事情を割合正直にミヤ子や孤島の常連に打ち開けていたのだけれども、誰もそれを信用しなかっただけの話なのである。そして、信用されなかったのは彼の不徳の致すところではなく、つまり他の連中がこんなところで本当の身の上なぞを話すものではないという風に心得ているせいであった。つまり、ほかの連中は(もちろんミヤ子も)自分の本当の身の上を誰にも打ち開けていなかったし、自分と同じように他の人々もそうに決っているときめこんでいたのであった。
グズ弁はここと同じように会社でもグズ弁とよばれていた。否、彼がこの飲み屋で本当の身の上話を物語った代償として人々の信用を博し会社に於けると同じよ
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