であると言われても仕方がない。
 天皇陛下の行く先々、都市も農村も清掃運動、まったく箒である。陛下も亦、一国民として、何の飾りもない都市や農村へ、旅行するのでなければ、人間天皇などゝは何のことだか、ワケが分らない。
 朕《ちん》はタラフク食っている、というプラカードで、不敬罪とか騒いだ話があったが、思うに私は、メーデーに、こういうプラカードが現れた原因は、タラフク食っているという事柄よりも、朕という変テコな第一人称が存在したせいだと思っており、私はそのことを、当時、新聞に書いた。
 私はタラフク食っている、という文句だったら、殆ど諷刺の効果はない。それもヤミ屋かなんかを諷刺するなら、まだ国民もアハハと多少はつきあって笑うかも知れないが、天皇を諷刺して、私はタラフク食っていると弥次ってみたところで、ヤミ屋でもタラフク食っているのだもの、ともかく日本一古い家柄の天皇がタラフク食えなくてどうするものか、国民が笑う筈はない。これが諷刺の効果をもつのは、朕という妙テコリンの第一人称が存在したからに外ならぬのである。
 朕という言葉もなくなり、天皇服という妙テコリンの服もぬがれて、ちかごろは背広を
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