島原城へ駈けこみ、夜がくるまで何くれ手助けして誤魔化してゐたが、油断を見て、城内の鉄砲庫へ忍びこみ、手に手に鉄砲を分捕つてワッと脱走してしまつた。かうして一揆軍は少からぬ鉄砲鳥銃を所持することになつたのだ。
とはいへ彼らには訓練がなかつたから、一揆の始めは団体の統一がなく、てんでんバラバラに鉄砲を打ちだす。ために威力乏しく、突撃され斬りこまれる不手際であつたが、次第に戦争のコツを会得して、三万七千の一団となり原城へ籠城した時には、濠をうがち、竹柵を構へ、この陰に数段の砲列をしいて順次に射撃するといふ、全く信長と同一の戦法を編みだすに至つた。蓋し彼らは農民で、徳川流の形骸にとらはれる所がなかつたから、武器の実質にもとづいて、純一に威力を生かす方法を発案することが出来たのである。この鉄砲の段列に対して幕府軍は刀をふりかぶつて突撃した。歯がたたぬ。一挙に七千余の戦死をだして退却のやむなきに至り、総大将板倉重昌は激怒、先登に立ち、竹柵によぢ登らうとして手をかけ片足をかけたとき、一弾に乳下を射抜かれて戦死した。一揆軍は五六十名の死傷をだしたにすぎぬ、段違ひの戦争であつた。
代つて総大将となつた松平伊豆守は智略の人である。鉄砲の正面から刀をふりかぶつて突撃しても徒《いたずら》に死傷多く戦果の少いことを見抜いた。そこでオランダのカピタンに命じて海上から砲撃させる。敵陣へ矢文を送つて切崩しにかゝり、甲賀者を城中に放ち(尤も切支丹語を知らなかつたので忽ち看破られた)敵の弾薬の消耗を見はからつて総攻撃にうつり、包囲二ヶ月の後、やうやく全滅せしめることができた。一揆軍は弾薬の欠乏と共に自滅したが、弾薬と食糧が豊富にあれば、籠城は無限につゞく勢だつた。形骸万能の徳川流の兵法が馬脚を現したのであるが、ともかく勝利を得た彼らはそのことに気付かない。オランダ人に助太刀を頼んだり、矢文を送つて泣きを入れたり、総攻撃の勇気なくダラダラと三ヶ月もかゝつたといふので、智恵伊豆苦心の策戦も、畳の水練、政治家の戦略、まつたく評判が悪かつた。猪突猛進の板倉重昌が甚だ好評を博したのだ。かうして鉄砲は亡びてしまつた。
今我々に必要なのは信長の精神である。飛行機をつくれ。それのみが勝つ道だ。
底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文芸 第一二巻第二号」
1944(昭和19)年2月1日発行
初出:「文芸 第一二巻第二号」
1944(昭和19)年2月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング