らうな、ときりだした。信長は腑に落ちぬことはトコトンまで究める性分であつた。オルガンチノは地球儀をとりあげ、伊太利を指して、之は自分の生れた故国であるが、はらからを棄て、万里の海を越えて知るべもない絶東の異域へ来るからには、元より生命はすてゝゐる。殿下も御存知のやうに、日々斎戒窮苦の生活に従ひ童貞をまもり、ひたすら人々の幸福のために身命をすりへらしてゐるといふのも、現身《うつしみ》の幸を望まず、一命を天主にさゝげ、死後の幸福を信じるからで、神の存在を信じなくてこのやうなことが出来る筈がありませうや、と見得を切つた。信長は白坊主の表裏ない言葉を諒としたが、彼らは馬鹿だと判断した。利用価値のあるものは毒であらうと利用する。松永弾正でも切支丹でも何でも構はぬといふ冷血な意向であり、その意志と理知の冷たさには、利用される者共が、狎れるどころか、ふるへあがり、憎み、呪つた。
かういふ彼であつたから、鉄砲の威力に就て、信玄の如く速断、見切りをつけなかつた。利用しうるあらゆる可能を究明して戦術を工夫独創した。鉄砲その物も発達したが、彼の編みだした戦術は同時に日本最初の近代戦術であつたのである。
弾ごめの間隙をふせぐために鉄砲を三段にわける。三千挺の鉄砲なら、千挺づつ三段にわけて斉射する。同時に敵の突撃の速度を落させるために、鉄砲の前面に濠をうがち柵をつくる。この陰から三段の鉄砲で順次に間隙なく射ちだすことによつて、敵兵を手もとへ寄せつけず撃退しうる、といふ戦術であつた。
この戦術を用ひて大捷《たいしょう》を博したのが長篠合戦で、鉄砲に見切りをつけた武田方は、この合戦で滅亡した。
信長の軍勢は各自木杭を負ふて進軍する。木杭は数万本。設楽原《しだらがはら》に達して、濠を掘り、柵をつくり、柵の内側に鉄砲組を三段に配置した。かうしておいて、歩兵が柵の前面へでて敵を誘導する。敵の突撃を見るや、退却して柵の内側へ逃れ、矢来を閉してしまふのである。甲州勢は信長の思ふ壺にはまつてしまつた。
甲州勢の主戦武器は刀槍であつた。推太鼓《おしだいこ》を鳴らし、幾段かの密集隊となつて波の如くに寄せて行くといふ戦法で、家康が三方ヶ原《みかたがはら》で惨敗したのも推太鼓の密集隊に踏み破られたせゐである。
波の如くに押し寄せる密集隊も三段構への鉄砲に射こまれてバタバタと倒れる。さすがに百戦練磨、海内《かいだい》一の称を得た精兵で、友軍の屍体を踏み越え、六番手まで繰りだして第一柵、第二柵まで奮進したが、悉く倒れ、射ちまくられて敗走せざるを得なかつた。主戦武器の威力に格段の相違があつては仕方がない。二万の甲州勢は一万七千戦死した。
信長の天下は、鉄砲の威力によつて得ることの出来た天下であつたが、鉄砲を利用し得た信長は偶然の寵児ではなかつたのである。つとに鉄砲を知つた信玄が利用に気付かず滅亡し、各地の諸豪鉄砲を知らぬ者はなかつたが、之を真に利用し得る識見と手腕は信長のみのものだつた。上杉謙信は信長と天下を争ふべく進軍寸前で病死した。謙信に天寿あらば信長の天下果して如何、といふのが世論であるが、鉄砲の威力を知らぬ謙信が進軍寸前に病死したのは彼の幸福であつたらう。
朝鮮役の快進軍は鉄砲と弓の差であつた。朝鮮軍は一挺の鉄砲なく、その存在すら知らなかつた。彼らの主戦武器たる弩《いしゆみ》は射勢はかなりに激しかつたが射程がない。城壁をかこんだ日本軍が鉄砲を射つ。百雷の音。怪煙万丈の間から味方がバタ/\倒れて行く。魂魄消え失せて、日本軍が縄梯子をかけ城壁をよぢ登るのを呆然と見まもるばかり、戦争にならない。坦々たる大道を走るが如く、京城へ攻めこむことができた。然し、明の援軍には鉄砲が整備してゐた。そこで両軍対峙のまゝ戦線は停頓するに至つたのである。
信長はその精神に於て内容に於てまさしく近代の鼻祖であつたが、直弟子秀吉を経、家康の代に至つて近代は終りを告げてしまつたのである。
家康は小田原征伐の功によつて、関八州を貰ひ、江戸に移つた。このとき彼の最初の法令の一つは領内の鉄砲私有厳禁といふことであつた。信長は戦争に於て速力を重視した。進軍と共に輸送路の確保に重点をおき、縦横に道を通じることによつて、その戦勝の困をなした。家康は鉄砲の製造発達を禁じ、橋を毀し、関所を設け、鎖国した。
応仁から信長に至る戦国時代は弱肉強食、下剋上、信義なく、保身のため、利益のために、裏切り、裏切られ、戦術に於て外交に於て、策略縦横の時代であつた。裏切つて利を収め身を保ち大をなすのは快いが、いつの日わが身が裏切られるか見当がつかぬ。策略縦横の激しさに策師自ら抗しかね疲れたのだ。かほどまで安からぬ思ひをして利をむさぼるには当らぬ。ともかく自国を保つて安眠したいといふ気持が育ち、自然に君臣仁義と
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