学への信用を深くせずにはいられない。僕は文学万能だ。なぜなら、文学というものは、叱る母がなく、怒る女房がいなくとも、帰ってくると叱られる。そういう所から出発しているからである。だから、文学を信用することが出来なくなったら、人間を信用することが出来ないという考えでもある。
四 美に就て
三年前に取手という町に住んでいた。利根川に沿うた小さな町で、トンカツ屋とソバ屋の外に食堂がなく、僕は毎日トンカツを食い、半年目には遂に全くうんざりしたが、僕は大概一ヶ月に二回ずつ東京へでて、酔っ払って帰る習慣であった。尤も、町にも酒屋はある。然し、オデン屋というようなものはなく、普通の酒屋で、框《かまち》へ腰かけてコップ酒をのむのである。これを「トンパチ」と言い、「当八」の意だそうである。即ち一升がコップ八杯にしか当らぬ。つまり、一合以上なみなみとあり、盛りがいいという意味なのである。村の百姓達は「トンパチやんべいか」と言う。勿論僕は愛用したが、一杯十五銭だったり、十七銭だったり、日によってその時の仕入れ値段で区々《まちまち》だったが、東京から来る友達は顔をしかめて飲んでいる。
この町か
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