チャ喋《しゃべ》っていたり踊っていたりしたのでは一向に見栄《みば》えのしなかった舞妓達が、ダンスホールの群集にまじると、群を圧し、堂々と光彩を放って目立つのである。つまり、舞妓の独特のキモノ、だらりの帯が、洋服の男を圧し、夜会服の踊り子を圧し、西洋人もてんで見栄えがしなくなる。成程、伝統あるものには独自の威力があるものだ、と、いささか感服したのであった。
同じことは、相撲《すもう》を見るたびに、いつも感じた。呼出《よびだし》につづいて行司の名乗り、それから力士が一礼しあって、四股《しこ》をふみ、水をつけ、塩を悠々とまきちらして、仕切りにかかる。仕切り直して、やや暫く睨み合い、悠々と塩をつかんでくるのである。土俵の上の力士達は国技館を圧倒している。数万の見物人も、国技館の大建築も、土俵の上の力士達に比べれば、余りに小さく貧弱である。
これを野球に比べてみると、二つの相違がハッキリする。なんというグランドの広さであろうか。九人の選手がグランドの広さに圧倒され、追いまくられ、数万の観衆に比べて気の毒なほど無力に見える。グランドの広さに比べると、選手を草苅人夫に見立ててもいいぐらい貧弱に見
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