る。
 僕が亀岡へ行ったとき、王仁三郎は現代に於て、秀吉的な駄々っ子精神を、非常に突飛な形式ではあるけれども、とにかく具体化した人ではなかろうかと想像し、夢の跡に多少の期待を持ったのだったが、これはスケールが言語道断に卑小にすぎて、ただ、直接に、俗悪そのものでしかなかった。全然、貧弱、貧困であった。言うまでもなく、豪華極まって浸みでる哀愁の如きは、微塵といえども無かったのである。
 酒樽ありせば、帝王も我に於て何かあらんや、と、詠じ、靴となってあの娘の足に踏まれたい、と、歌う。万葉の詩人にも、アナクレオンのともがらにも、支那にも、ペルシャにも、文化のある所、必ず、かかる詩人と、かかる思想があったのである。然しながら、かかる思想は退屈だ。帝王何かあらんや、どころではなく、生来帝王の天質がなく、帝王になったところで、何一つ立派なことの出来る奴原《やつばら》ではないのである。
 俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦そうである。まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。若《も》し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。
 京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今も尚、車折神社の石の冷めたさは僕の手に残り、伏見稲荷の俗悪極まる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることが出来ない。見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。これは、「無きに如かざる」ものではなく、その在り方が卑小俗悪であるにしても、なければならぬ物であった。そうして、龍安寺の石庭で休息したいとは思わないが、嵐山劇場のインチキ・レビューを眺めながら物思いに耽《ふけ》りたいとは時に思う。人間は、ただ、人間をのみ恋す。人間のない芸術など、有る筈がない。郷愁のない木立の下で休息しようとは思わないのだ。
 僕は「檜垣《ひがき》」を世界一流の文学だと思っているが、能の舞台を見たいとは思わない。もう我々には直接連絡しないような表現や唄い方を、退屈しながら、せめて一粒の砂金を待って辛抱するのが堪えられぬからだ。舞台は僕が想像し、僕がつくれば、それでいい。天才世阿弥は永遠に新らただけれども、能の舞台や唄い方や表現形式が永遠に新らたかどうかは疑しい。古いもの、退屈なものは、亡びるか、生れ変るのが当然だ。

     三 家に就て

 僕はもう、この十年来、たいがい一人で住んでいる。東京のあの街やこの街にも一人で住み、京都でも、茨城県の取手《とりで》という小さな町でも、小田原でも、一人で住んでいた。ところが、家というものは(部屋でもいいが)たった一人で住んでいても、いつも悔いがつきまとう。
 暫く家をあけ、外で酒を飲んだり女に戯れたり、時には、ただ何もない旅先から帰って来たりする。すると、必ず、悔いがある。叱る母もいないし、怒る女房も子供もない。隣の人に挨拶することすら、いらない生活なのである。それでいて、家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、うしろめたさから逃げることが出来ない。
 帰る途中、友達の所へ寄る。そこでは、一向に、悲しさや、うしろめたさが、ないのである。そうして、平々凡々と四五人の友達の所をわたり歩き、家へ戻る。すると、やっぱり、悲しさ、うしろめたさが生れてくる。
「帰る」ということは、不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。「帰る」以上、女房も子供も、母もなくとも、どうしても、悔いと悲しさから逃げることが出来ないのだ。帰るということの中には、必ず、ふりかえる魔物がいる。
 この悔いや悲しさから逃れるためには、要するに、帰らなければいいのである。そうして、いつも、前進すればいい。ナポレオンは常に前進し、ロシヤまで、退却したことがなかった。ヒットラーは、一度も退却したことがないけれども、彼等程の大天才でも、家を逃げることが出来ない筈だ。そうして、家がある以上は、必ず帰らなければならぬ。そうして、帰る以上は、やっぱり僕と同じような不思議な悔いと悲しさから逃げることが出来ない筈だ、と僕は考えているのである。だが、あの大天才達は、僕とは別の鋼鉄だろうか。いや、別の鋼鉄だから尚更……と、僕は考えているのだ。そうして、孤独の部屋で蒼ざめた鋼鉄人の物思いに就て考える。
 叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると、叱られてしまう。人は孤独で、誰に
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