とりたてゝ変ったところもないのですし、根は気立てのよい、おとなしい人なんですけど、ねえ」
茫然たる私に、主婦はなんでもない顔付でつけたして云った。
「キミちゃん自身が、自分のモモの肉をえぐったことは事実なんです。キミちゃんのオカミさんが、人間の肉をたべたいとか、云ったとか、これは噂ですけれども、色々曰くがあったんでしょうが、キミちゃんが思いつめたアゲクに、自分のモモの肉をえぐってオカミさんに食べさせたんだなんて、まア、噂ですから、真偽のほどは分りません」
私は二の句のつげない状態だった。私自身が精神病院をでゝ、まだ一週間ほどにしかならない日の話なのである。
私は真偽をたしかめたい気持にもならなかった。まるで、すべてが私の悪夢にすぎないような気持であった。私には、すべてが割りきれなかったが、割りきってみたいとも思わなかった。
そして茫然と自分の家へ戻ったが、それから三日目の新聞に、麻薬密売者の一味があげられたという記事があり、その一人に、王子君五郎という名があがっていた。私は今もなお、妙に溜息がとまらぬような思いである。
底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第四巻第七号」
1949(昭和24)年7月1日発行
初出:「オール読物 第四巻第七号」
1949(昭和24)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:砂場清隆
2008年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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