時計が、突如として、目覚し時計となって、鳴り狂いはじめたようなものである。
「あんな男のいうことマジメにきいて、何、ねぼけてんの。気違いって、あの人が気違いじゃないの。女装したりしてさ。変態なら分るわよ。変態でもなんでもないくせに女装するなんて、頭のネジが左まきのシルシにきまってるわ。私が自分のモモにホリモノをしただの、そのホリモノをえぐりとったのと、あの人が知っているわけがないでしょう。みんなあの人の妄想よ。ほら、見てごらんなさい。私のモモに、ホリモノだの、えぐりとった傷跡だのがあって」
 女は私にモモを見せた。まったく、何もなかったのである。そしてモモを見せる女の態度というものは、完全なパンパンの変哲もない態度であり、おかげで私は俄に安心したほどであった。
「君は、じゃア、絵描きの卵でもないのかね」
「まア、それぐらいのことは、私だって、なんとか、かんとか、それも商売よ。でも油絵の二三枚かいたこともあったわよ。あんまり根もないことを云ったんじゃア、この社会じゃア、自分が虚栄だから、人の虚栄を見破るのも敏感なものよ」
 話しだすと、先刻までの押し黙った陰鬱さは薄れて、女は案外延び延びと気楽であった。
 然し、私には、どうも解《げ》せなかった。病院へ麻薬を持って見舞に来た時から、どこにも気違いらしい変ったところはなかった。元々気違いはそうである。私は精神病院で、それを胆に銘じてきた。発作が起きた時でなければ、見分けのつくものではないのである。いわば、あらゆる人間に犯罪者の素質があるように、あらゆる人々に狂人の素質があると考えてもよい。狂人は限度の問題だという見方もありうるほどである。
 私は精神病院をでゝ以来、それまでの不眠症にひきかえて、ひどく眠るようになった。尤も、東大から催眠薬を貰っており、これは暁方になってきいてくる性質の催眠薬であった。朝食をとって、又、ひと眠りするのが習慣になっていた。
 私は翌朝目がさめると、朝食の後、女を帰して、私だけ、もう一眠り、ねむった。ぐっすり眠った。その前日まで、仕事して、過労があったせいもあった。
 目がさめると、もう午《ひる》すぎだ。私は宿の人に頼んでおいたので、風呂がわいていた。風呂からあがって、酒をのんだ。この旅館は、まだ女中がおらず、主人夫婦だけ、子供もいないのである。
「どうも、王子君には、驚いた」
 私は宿の主婦
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