ほど律義であるから、秀吉も苦笑して、その言葉を忘れるな、よし、許してやる。そこで黒田如水といふ初老の隠居が出来上つた。天正十七年、小田原攻めの前年で、如水は四十四であつた。
ある日のこと、秀吉から茶の湯の招待を受けた。如水は野人気質であるから、茶の湯を甚だ嫌つてゐた。狭い席に無刀で坐るのは武人の心得でないなどゝ堅苦しいことを言つて軽蔑し、持つて廻つた礼式作法の阿呆らしさ、嘲笑して茶席に現れたことがない。
秀吉の招待にウンザリした。又、いやがらせかな、と出掛けてみると、茶席の中には相客がをらぬ。秀吉がたつた一人。侍臣の影すらもない。差向ひだが、秀吉は茶をたてる様子もなかつた。
秀吉のきりだした話は小田原征伐の軍略だ。小田原は早雲苦心の名城で、謙信、信玄両名の大戦術家が各一度は小田原城下へ攻めこみながら、結局失敗、敗戦してゐる。けれども、秀吉は自信満々、城攻めなどは苦にしてをらぬ。徴募の兵力、物資の輸送、数時間にわたつて軍議をとげたが、秀吉の心痛事は別のところにある。小田原へ攻めるためには尾張、三河、駿河を通つて行かねばならぬ。尾張は織田|信雄《のぶかつ》、三河駿河遠江は家康の所領で
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