列坐の公卿が居流れる。物々しい儀礼のうちに国書と進物を受けたけれども、酒宴が始まると、もう、ダラシがない。朝鮮音楽の奏楽が始まると、鶴松(当時二歳)をだいて現れて、之をあやしながら縁側を行つたり来たり、コレ/\泣くな、ホレ、朝鮮の音楽ぢや、と余念がない。すると鶴松が小便をたれた。秀吉アッと気付いて、ヤア小便だ/\。時ならぬ猿猴《えんこう》の叫び声。「容貌|矮陋《わいろう》、面色|黎黒《れいこく》」下賤無礼、話の外の無頼漢だ、と朝鮮使節はプン/\怒つて帰国の途についた。
さうとは知らぬ秀吉、名護屋に本営を築城して、大明遠征にとりかゝる。行長と義智は困惑した。遠征軍が平和進駐のつもりで釜山に上陸すると、忽ちカラクリがばれてしまふ。どうしても一足先に赴いて何とか弥縫《びほう》の必要があるから、ひそかに秀吉に願ひでた。即ち、朝鮮使節はあゝ言つて帰つたけれども、彼等は元来表裏常ならぬ国柄であるから、果して本心から道案内に立つかどうか分らない。日本軍が上陸してから俄に違約を蒙つて齟齬《そご》を来しては重大だから、彼らの本心を見究めるため、自分らを先発させて欲しい。朝鮮の真意が分り次第報告するが、ともかく三月一杯は全軍の出陣を見合せるやう訓令を発していたゞきたい、と願ひでゝ、許可を得た。
行長と義智は直ちに手兵を率ゐて先発する。彼らは必死であつた。釜山に上陸、直ちに交渉を開始して、清正の軍勢は目と鼻の先の島まで来てゐるし、後詰の大軍はすでに対馬に勢揃ひを完了してゐる。十数万の精鋭であるから、今、太閤を怒らせると、朝鮮はてもなく足下に蹂躙されるのが運命である。かくなる以上は遠征の道案内に立つ方が身の為だ、と言つて、彼らも死物狂ひ、なかば脅迫の言辞を弄して迫つたけれども、朝鮮の態度は傲慢で、下賤の猿面郎が大明遠征などゝは蜂が亀の甲を刺すやうなものだ、といふ頭から軽蔑しきつた文書によつて返答してきた始末であつた。
宗義智はこの数年間|屡次《るじ》にわたつて朝鮮側と屈辱的な折衝を重ね、太閤の意志とうらはらな返翰《へんかん》を得て、之を中途で握りつぶしてゐたのであるから、露顕の恐怖に血迷つた。行長と打合せる余裕すらも失ひ、単独鄭揆に交渉したが、軽蔑しきつて返事もくれぬ。義智はすでに逆上した。進め、殺せ、狂乱叱咤、釜山城へ殺到して、占領する。然し、血の悪夢からさめた時には、単なる一小城の蹂躙と殺戮が自分を救ふ何の役にも立たないことを見出したばかりであつた。彼は絶望を抑へるために亢奮し、ゴロゴロした屍体の中を歩き廻つて血刀をふりあげながら絶えず号令を叫んでゐた。東莱の府使へ急使を派して、仮道入明に応じなければ釜山同様即刻武力をもつて蹂躙すると脅迫したが、使者のもたらした返事は簡単な拒絶の数言にすぎなかつた。義智はその言葉がよく聞きとれなかつたやうな変な顔でボンヤリしてゐたが、みんな殺すのだと呟いた。急に名状し難い勢ひで崩れた塀の上へ駈け上ると進軍の命令を下してゐた。殺到して東莱城を占領する。つゞいて、水営。つゞいて、梁山。義智の絶望と混乱のうちに飛火のやうに血煙がたち、戦争はまつたく偶発してしまつたのである。
かくなれば、是非もない。道は一つ。行長は決意した。他の誰よりも真ッ先に京城に乗込み、朝鮮王と直談判して仮道入明を強要し、ツヂツマを合せなければならぬ。京城へ。京城へ。行長は走つた。
清正をはじめ待機の諸将はさうとは知らない。行長が功をあせつて彼等をだしぬいたとしか思はなかつた。激怒して上陸、京城めがけて殺到する。統一も連絡もなく各々の道を走つたが、鉄砲を知らぬ朝鮮軍は単に屍体を飛び越すだけの邪魔となつたにすぎなかつた。日本軍は一挙に京城を占領し、朝鮮王は逃亡した。
京城の一番乗は言ふまでもなく行長だつたが、一日遅れた清正は狡猾な策をめぐらし、自分の京城入城を知らせる使者を誰よりも早く名護屋本営へ走らせた。この報告には一番乗とは書き得ないので、たゞ今入城、と書いておいたが、一番早く入城の報告を行ふことによつて太閤に一番乗を思ひこませるためであつた。清正は行長にだしぬかれた怒りと一番乗が最大関心の大事であつたが、行長は一番乗の報告などにかけづらつてはゐられなかつた。
京城に到着、行長は直に密使を朝鮮軍の本営に送つて、仮道入明、否々々、彼は太閤の訓令も待たず、直に明との和平交渉にとりかゝつた。即ち、明との和平を斡旋せよ、単刀直入、朝鮮軍にきりだした。彼は破れかぶれであつた。毒食はゞ皿まで、彼はもう弥縫のための暗躍に厭気がさして、卑屈な自分を呪つたが、所詮弥縫暗躍がまぬがれがたい立場なら、いつそ全てを自分一存のカラクリで仕上げてやれといふ自暴自棄の結論に達してゐた。朝鮮の説得だの、朝鮮風情を相手に小さなツヂツマを合せてゐるのは、もう厭だ。どう
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