のであり、浦上の村民のほゞ全数は元和寛永のむかしから表むき踏絵をふみ、仏徒のふりをしながら、ひそかにマリヤ観音を拝み、二百余年の潜伏信仰をつたえている、ということだった。話の途中、見物人のくる気配につとはなれて、なにくわぬふうをして、かえっていったという。これが日本における切支丹復活の日だ。
この日から、神父と浦上部落とに熱烈な関係ができたのはいうまでもない。そのうちに明治となり、この事実が発覚した。明治政府はまだ信仰の自由を許しておらぬ。例の王政復古というやつで、宗教は神道ひとつ、仏教もつぶしてしまえという反動時代だったから、切支丹の復活を許すだんではなかった。何千という浦上部落の信徒が老幼男女一網打尽となり、多すぎて牢舎の始末もつかぬから、いくつかの藩に分割して牢にこめられ、とり調べをうけ、棄教をせまられる。
寒ざらし、裸にして雪の庭へ坐らせるなどとそうとうの拷問もあったようだ。ところが拷問によっては、いっかな棄教せぬ。例の祈祷を唱え、痛苦に堪え、痛苦の光栄に陶酔するものゝごとくますます信仰をかためるというぐあいである。こゝまでは、元和寛永のむかしとかわらぬ。
ところが、こゝ
前へ
次へ
全17ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング