。そのかわり終戦後の変化にも、都会人はすぐ同化しえても、農村人はなかなか同化しないに相違ない。文化的に未開なものほど安定しているものなのだ。
歴史も知識の所産であって、したがって不安定で、必ずしも歴史的に安定するという絶対性をもつことはできぬ。その意味において、歴史的虚偽は虚偽なりに、われわれの現実とも相応しているからであった。そしてわれわれの現実は、これまた、安定してはおらぬ。知識はつねに不安定で、つねに定まる実体がない。
私はしかし、そういう屁理窟はとにかくとして、私がカイビャク以来の愛国者で、二合一勺のそのまた欠配つゞきに暴動ひとつ起さなかった歴史的人格の一人であったという発見に大いに気をよくしているのである。
そればかりではない。私は今もあいにく生きているゆえに天下に稀れなぐうたらものであるけれども、三四年前戦地にあれば殉国の愛国者でありえたかも知れぬ。いな、必ずありえたはずである。私は今朝の新聞に、カラフトの郵便局の九人の女事務員が、ソビエト軍の攻げきに電信事務を死守し、いよいよ砲弾が四辺に落下しはじめたとき、つぎつぎに服毒しておのおのの部署に倒れていったという帰還者の
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