法で後方に縛して穴の中へ吊りさげるもののようだが、具体的な方式は各人各説、ハッキリしていないようだ。これをやると三四日から一週間ぐらい生きている。そして、へんなふうにもがきつゞけている。妙チキリンなもがきかたで、見ていると、おかしくなり、ばかばかしくなるばかりで、第一、例の祈祷を唱え、説教するための荘厳なるこえがでない。異様に間抜けた呻きごえがもれるばかり、およそ死の荘厳というものがみじんもないから、見物の信徒もうんざりしてしまう。そのために、この穴吊しの発明以来、信徒がめっきりと減り、たちまちにして切支丹は亡びてしまったという。もっとも転向のふりをして踏絵をふみ、家にかえってマリヤ観音にお詫びをするという潜伏信徒は、明治にいたるまでつゞいていたのである。
つまり穴つるしという発明によって刑死の荘厳を封じたのが、信教絶滅の有力な原因だったといっぱんに解釈せられているのである。時間の問題もあったであろう。時間に勝ちうる人の心はありえないから。しかし、穴つるしがその時間を早めたことも事実ではあった。
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こういう異常な殉教の事実をふりかえると、まるでわれわれは別人種の壮烈な信仰と魂を見るような、手のとゞかない感じがする。
ところが幕末になって、欧米との交渉が再開し、日本在住の外人のために天主堂の建設が許されて、第一に横浜に、つぎに長崎の大浦に天主堂ができた。横浜のはなくなったが、大浦のは現存し(もっとも戦争でどうなったかは私は知らない)、日本最古の教会、また、洋風の美建築として国宝に指定せられている。
この教会は日本在住の外人のためにのみ建てられたもので、日本人の信仰は、依然許されていなかった。もっとも見物は許されて、もの好きな日本人のことだから連日見物人のあとを絶つことがなかったが、それらの日本人にむかって神父の説教は厳禁せられていた。
ある日、十何人かの老幼男女の一団がやってきた。あちこち堂内を見物していたが、ほかに見物人のいないのを見ると、突然プチジャン神父のもとへ歩み寄って、マリヤさまはどこ? ときく。マリヤの像の前へ案内すると、あゝ、ほんとにマリヤさま、ゼススさまをだいていらっしゃると、なつかしげに叫んだが、やがてみなみな跪《ひざまず》いて祈りはじめてしまった。
彼らがプチジャン神父の問いに答えて告げたことは、彼らは浦上のも
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