秘密なく、あまつさへ幻滅に富むものでありませうか。ひたすら妄想に身を焼きこがした人々が、やがてこれらの仏像のやうに、汲めども尽きぬ快楽と秘密をたきこめた微妙な肉体を創りだすこともできるのでした。老齢なほ妄念の衰へを知らず、殺気をこめて鑿を揮ふ老僧を思ひ泛べずにゐられません。
私は、薄暗い手燭の燈に照しだされた木像の胸や腰や腕や頸のあまりにも生々しいみづみづしさに幾分不気味な重苦しさを覚えてゐました。やがて四囲《あたり》の事情に反し仏像のみに積る埃のないことを見て、
「君は、毎日、これを眺めにここへくるのか」私は彼にたづねました。
「つい先頃まで書斎に置いたものなのだ」彼は私の疑惑を察して答へるのです。「散歩にでたり、空気銃をうつたり、硝子をこはしたり、ほつとくと勝手な悪戯をするのでね」そして彼ははじめていくらか打ち解けた笑ひ顔をみせたのです。
しかし私は彼が幾分私の眼から隠すやうにしてゐたところに――木像の脾腹のあたりに、たしか刃物でゑぐつたやうなまだ生々しい傷あとを認めてゐました。傷口から脾腹のあたりに、まるく滲んだ血糊のあとを、たしかこの眼に認めたやうに思はれたのです。
「さあ出ようよ」と、そのとき友達が言つてゐました。
翌日私はひとり海辺へ散歩にでました。浜で偶然言葉を交した漁師の小舟で、やがて私は海へ薄明《うすあかり》が落ちかけるまでぐぢ[#「ぐぢ」に傍点]を釣つてゐたのです。赤々と沈む夕陽を見ると、私は可愛い魔物の視線をよみがへらせてゐたのでした。
「君はあの家の仏像を知つてゐるのかね」私は漁師に訊ねました。
「仏像と――?」
漁師はやがて笑ひだしてゐたのです。「なるほど、あれは仏像だ。あの混血《あいのこ》の父《てて》なし娘は白痴で唖でつんぼだよ」
そして私は漁師から友達の妻が白痴で唖であることを知らされてゐました。混血児のみがもつやうな光沢の深い銅色をした美しい娘であつたさうです。友達は自ら激しく懇望して、やがて妻としたのださうです。
「おや/\、虎でもなくて白痴だつたか」けれども私は、ぼんやりと自然に海をながめてゐました。
釣りあげたぐぢ[#「ぐぢ」に傍点]をさげて、私は家《うち》へ帰りました。一日の潮風を洗ひ流して浴室をでるとき、私は廊下の角《すみ》の方をみたのですが、もはや夜も落ちてゐたし、誰の視線もなかつたのです。
――あの傷口にあ
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