教によつて祝福された道鏡の宿命と徳をたゝへた。そして道鏡は皇孫だから、当然天皇になりうる筈だと異口同音に断言した。甘言はいかなる心をもほころばし得るものである。それをたとへば道鏡がむしろ迷惑に思ふにしても、それを喜ばぬ筈もない。
 然し、と彼等の一人が言つた。事は邦家の天皇といふ問題だから、阿曾麻呂の捧持した神教だけで事を決することはできぬ。然るべき勅使をつかはして、神教の真否をたゞさねばならぬ、と。
 もとよりそれは何人をも首肯せしめる当然の結論だつた。もし道鏡がその神教を握りつぶして不問に附する場合をのぞけば。
 道鏡は迷つた。然し、彼は単純だつた。まことにそれが神教ならば、と彼は思つた。
 そして、彼が勅使の差遣に賛成の場合、彼は天皇になりたい意志だといふ結論になることを断定されても仕方がないといふことに、気付かなかつた。
 勅使差遣の断案は道鏡自身が下さなければならないのだ。彼は諾した。

          ★

 道鏡をこの世の宝に熱愛し、その愛情を限りなく誇りに思ふ女帝であつたが、道鏡を天皇に、といふ一事ばかりは夢にも思つてゐなかつた。天皇は自分であつた。その事実は、疑られ、内省されたことがない。
 女帝は彼に法王を与へた。天子と同じ月料と、天子と同じ食服と、鸞輿を与へ、法王宮職をつくつて与へた。すでに実質の天皇だつた。すくなくとも、彼女が男帝ならば、道鏡は皇后だつた。
 女帝は気がついた。家をまもる陰鬱な虫の盲目の希ひが、天皇は自分であるといふことを、てんから不動盤石に、疑らせもしなかつたのだ、と。
 女帝は道鏡が気の毒だつた。いたはしかつた。そして、いとしくて、切なかつた。どこの家でも、女は男につき従つてゐるではないか。なぜ、自分だけ。なぜ道鏡が天皇であつてはいけないのか。
 女帝は決意した。宇佐八幡の神教が事実なら、そして、勅使がその神教を復奏したなら、甘んじて彼に天皇を譲らう、と。なぜなら、彼は皇孫だから。諸臣もそれを認めてゐる。のみならず、天智天皇の孫ではないか。
 女帝はその決意によつて、幸福であつた。愛する男を正しい男の位置におき、そして自分も、始めて正しい女の姿になることができるのだ、と考へた。
 まだ女帝には皇太子が定められてゐなかつた。可愛いゝ男は今は彼女の皇太子でもあつたのだ! 上皇といふ女房の亭主が天皇とは珍らしい。天皇から皇后
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