から、思ひもよらぬ女の人が走りでゝ来て、ていねいに教へてくれた。宿屋で、何か切支丹のことを聞きださうとしたが、主婦は、私の言葉が理解できないらしく、やゝあつてのち、このあたりではキリスト教を憎んでゐます、と言つた。
二 原因
島原の乱の原因は、俗説では切支丹の反乱と言はれてきたが、今日、一般の定説では、領主の苛斂誅求《かれんちゅうきゅう》による農民一揆と言はれてゐる。天草四郎が松平伊豆守に当てた陣中の矢文にも、領主松倉長門守の重税を訴へ「近代、長門守殿内検地詰存外の上、剰《あまつさ》へ高免の仰付けられ、四五年の間、牛馬書子令文状、他を恨み身を恨み、落涙袖を漫《ひた》し、納所《なっしよ》仕《つかまつ》ると雖も、早勘定切果て――」と書いてゐる。
然し、重税の内容がどのやうなものであつたか、この文章からは分らない。牛馬書子令文状といふものがどのやうなものであるか、それすらも分らないのだ。又、日本に残る記録には、之に就て語るものが、まつたくない。たゞ、教会側に、ポルトガルの船長ヂュアルテ・コレアの手記があり、これによつて、推察しうるにすぎない。コレアは、一揆の当時、大村の牢屋にゐたのである。
コレアの手記によれば、農民は米、大麦、小麦で一般租税を払ひ、更に Nono と Canga のいづれかを収めなければならなかつた。そのうへ、煙草一株につき冥加《みょうが》として葉の極上の部分を選んで半分とられ、又、それらの物品が揃はぬときは、茄子一本につき何個といふ割当の賦課か、或ひは、何物かの年貢を納めねばならなかつた。(パジェスの鮮血遺書では、物品の代りに女をとられたと言ひ、これが島原の乱の直接の原因となつたと述べてゐる)
ノノ及びカンガとは何物か。パジェスによれば、ノノは九分の一税、カンガはポルトガル語で牛の軛《くびき》を意味するが、然し、多分日本語の何かではあるまいか、と言つてゐる。日本語であるとすれば、ノノは恐らく「布」であらうが、カンガとは? 布に相応するカンガとして、これをカイコ(島原地方ではカイゴといふ)であらうといふ説が妥当のやうである。カイゴは繭の意である。
現に、島原地方は養蚕の甚だ盛大な土地で、温泉岳の山麓は見はるかす桑の葉の波であつた。然し、そのやうな事実に就て手掛りをもとめるとすれば、他面、この地方は牛の甚だ多い所で、現在、牛を飼はぬとい
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