。私はニヤリとして地図を視つめる。すると、金鍔谷。私は飛上るほど驚いた。さうだつけ。金鍔次兵衛がつかまつたのは、戸町であつた。私は慌てゝ、案内書をめくつた。やつぱり、さうだ。金鍔次兵衛のつかまつた所なのである。そればかりではなかつた。金鍔次兵衛が最後にひそんでゐた横穴が、現に、そのまゝ残つてゐるのだ。
私は長崎へついたその足で、まつさきに戸町へでかけて行つた。金鍔次兵衛の隠れ家だつた横穴には、不動様が置かれてゐた。たゞ、それだけのこと。来てみた所で、何の変哲があらう道理もないではないか。私はむしろ私の好奇心に呆気にとられて、変哲もない金鍔谷に、苦笑の眼をそゝいでゐた。長崎に見るべきものは外に沢山あらうのに、先づまつさきに金鍔谷へ駈けつけたのが、分らなかつた。我がことながら、阿呆らしかつた。地図をひらいて、金鍔谷をみつけると、叩かれたやうに、飛出してしまつたのである。長崎といふ所は、東京と支那のまんなかへんで、時間も、東京と支那のまんなかあたりであるらしい。東京で七時といへば薄暗らかつたが、長崎では、疲れきつた太陽がまだ光つてゐる。始めは、化かされてゐるやうな、厭な気がした。私が戸町で七時の時計と七時の太陽を見た時は、まだ長崎へついたばかりであつたから、一さう、変に空虚を感じた。私は、怪しげな遊廓をひやかさずに、長崎へ戻つた。さうして、チャンポン屋で渋い酒をのみながら、金鍔次兵衛ともあらう豪の者が、原城へ入城もしないで、あんな穴ぼこの中でつかまるとは、返す/″\も残念至極だと、酩酊に及んでしまつたのである。
底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「現代文学 第四巻第八号」大観堂
1941(昭和16)年9月25日発行
初出:「現代文学 第四巻第八号」大観堂
1941(昭和16)年9月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年10月15日作成
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