治の反省をもとむべき性質のものである。戦争中、文化は鉄砲を胸ぐらに突きつけられて変節せざるを得なかつたが、既に鉄砲を洗ひざらひ海へ流し去つた今日の日本に於ては文化が他の暴力に屈せしめられる心配がなくなつたのだ。新しい日本を育てる力は文化だけだ。文化のみが発育の母胎であることは古今に変りがないのだが、今日の日本の如く、文化がその全威力を許されたといふことは、日本の歴史では先例がない。このとき我々が文化への正当な認識と教養とを怠るなら、我々はせつかくの光明を自ら吹き消して暗中へ退歩する愚を犯すことゝなるのみであらう。
地方文化の確立が叫ばれるのも地方に特に文化が必要といふのではなく、全日本に文化が必要であり、全日本おしなべて高度の文化、といふ意味に於て、地方々々に真実のそして高度の文化の必要が叫ばれてゐるのであるが、然らば文化とは何ぞや、と云へば、私は文化に就て答へるよりも、その母胎たるべきもの、自主の自覚、及び、自我の誠実なる内省を以て答へたい。之なくしては真実の文化は育たず、又、生れない。
先づ我々は自分の好き嫌ひをハッキリ表現することが必要だ。自分の責任に於て取捨選択をしなければならぬ。「だまされた」などと惨めな言葉は永遠に用ひずに済みたいものである。次に、かゝる自主的な選択が我執によつて固定せず、常に誠実な内省を加へて、自ら発育することを信条としなければならぬ。要は之だけのことである。
そして地方精神の悪弊、亜流の精神を取り去り、自らの思考を全日本的な宇宙的な高さに於てもとめることを忘れてはならないと思ふ。この意味に於て、私は先づ地方文化の確立に就ては、東京の亜流となるな、自ら独自の創造をなせといふ月並な文句が、然し真実必要な言葉であると信じてゐる。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「月刊にひがた 第一巻第三号」新潟日報社
1946(昭和21)年2月25日発行
初出:「月刊にひがた 第一巻第三号」新潟日報社
1946(昭和21)年2月25日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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