られたものを鵜のみにするしか能がないか、この投書のみならず在来の探偵小説がそれを証明しており、洋学移入可能の智能原始状態は探偵小説をもって第一人者となす。ヴァン・ダインだ、クイーン、カー、クリスチーだ、クロフツだ、フィルポッツだ、シメノンだ、といって、いったい芸術の独創性というものは、どこへ忘れているのやら。
まだしも、他の芸ごと、たとえば、他の文学とか、音楽、絵画には、それぞれ、個性とか独創を尊び、形式やマンネリズムを打破することに主点がおかれているものだ。探偵小説ときてはアベコベで、先人の型に似せることを第一義としている。お手本がなければ、どうにもならず、お手本のクダラナサを疑ることなど毛筋ほどもないのである。
私は本格探偵小説が知識人にうけいれられぬ原因の最大のものは、その形式のマンネリズムにあると信ずる。つまり一方にマカ不思議な超人的迷探偵が思い入れよろしく低脳ぶりを発揮し、一方にそれと対してあまりにもナンセンスなバカ探偵が現れて、わかりきったクダラヌ問答をくりかえす。とても読めるものじゃない。
ガボリオーの創始した型を三人四人模倣したら、たいがい作者も読者もウンザリしそうなものだが、それから何十年、洋の東西を問わず何千何万の探偵小説家がみんな同じ型をふむばかりか、それだけが探偵小説の本道だという思いこみ方で、他の芸ごとに比して、探偵小説がいかに幼稚な、無知性的な状態に安住しているかということがわかる。
描写や表現の形式に於て、かくの如くに幼稚であるということは、要するにトリックに於ても幼稚であることを意味している。つまり、合理性を欠いているのだ。しかも当の作者は合理性を欠いていることに気付かず、あべこべに、ウヌボレをもち、不合理のトリックが不合理の故に正しい解答を得られぬことをさとらず、わが頭脳優秀の故に読者に犯人がわからないと考える。
物理学だの数学だの生物学だのと、一般人に通じない知識をひけらかしても何にもならないものだ。物理学は物理学の専門家に向って価値を問うべきもの、探偵小説は物理学の応用などで値打をますべき性質のものではない。これだけの幼稚な理窟も理解せられていない探偵小説界の知性の貧困というものは言語道断と申さねばならぬ。
犯罪という人間心理の秘奥について物語を作りながら、くだらぬ学術をふりまくばかりで、人間そのものについて、何ら誠
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