称するけれども実はそれが雪国の貧しさの象徴とでも申したいようなものだ。何の風味もない。これを越後人は自嘲して「沼垂までくると信濃川の向うから湯づけの音がきこえてくる」という。沼垂は今では新潟市だが昔は新潟市ではなかった。両者信濃川をはさんでいる。察するに沼垂には湯づけの風習がないらしく、沼垂までくると川の向うから湯づけをすする音がきこえるというのだが、そのころ信濃川の河口は七町半もあった。洋々たる大河である。けだしこういう大ゲサな表現はまた新潟の表現で、彼らは生れながらにして大ゲサな表現が巧妙である。彼らは人が自殺した話をするにもユーモラスにしか語らない。しかしそれが少しも不愉快にきこえないのは彼らは本来自分自身を何より悪くいやらしく滑稽にしか表現しない根性が逞しく確立されそれが本筋をなして一貫しているからで、人の最悪のことを面白おかしく話をしてもイヤ味が感じられない。諦観のドン底をついておって自分の葬式まで笑いとばすような根性が風土的に逞しく行き渡っているのである。それが少年少女に特に強くでる。なぜかというとオトトやオカカは自分の生活苦があっていかに生れつきの持前でも多少は自分を笑いたくないような悲しいやつれがあるが、子供にはそれがないから、彼らの諦観はむしろ大人よりも野放図もなく逞しく表れてくるのである。
こういう諦観はおそらく半年雪にとざされ太陽から距てられてしまう風土の特色と、も一つ新潟は生えぬきの港町で色町だった。つまり遊ぶ町だ。絃歌のさざめきを古来イノチにしていたような町だ。だから「新潟には男の子と杉の木は育たない」と自ら称している言葉があって、私が小学校の時は校長先生の訓辞はいつもそれだった。私の小学校の根津校長先生は大いに男の子も育てようと大きな願いをいだいていられるように見受けられたが、その小学校にすらも野外運動場が全くない。また他の小学校に於てもそうだ。屋外運動など不用というのは新潟市民の諦観と同じように風土的、気質的な考え方で、つまり女子の性行をもって男子に当てはめ、男の子が屋外で泥んこに遊ぶようなのは悪事だとすら考え、屋外で遊びたがる子は末おそろしき子だぐらいに考える気風があるのだ。
先日私が久しぶりに新潟へ行ってみたら、私の学んだ小学校はまだ昔そのままで、相変らず屋外に運動場のない姿であった。子供のために屋外運動場を新設してやろうという
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