となのか、私は女を女房という鬼にしたくないのである。

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 貞操というものは一人の男に対して保たるべきものではない。貞操はそういう義務的なものではないのである。
 処女の場合がそうで、一人の男への義務というようなものではなく、絶対的なもので、それだけにまた、一たび処女を失うとすべてを失う、あらゆる知性も純潔も一しょに失うようなことになる。
 それは貞操に対する常識上の通念がまちがっているからで、処女だけが娘の誇りで、それがなければ娘はゼロだ、傷物だというようなバカバカしい妄想的道徳を平然横行流行せしめている罪だ。
 貞操は一人の男のためではないので、自分のためのものだ。自分の純潔のためのものだ。より良くより高い生活のためなら、二夫にでも三夫五夫にでも見《まみ》えてよろしく、それによってむしろ魂の純潔は高められるであろう。愛する男にすら許さぬという処女の純潔も、より高い生き方のために何人もの男に許すという純潔も、純潔に変りはない。貞操は処女を失うとか二人に許すという問題でなく、わが魂の問題だ。
 女房の貞操にはもう魂がなく、亭主への義務だけだから、義務などはたよりない代用品で、小平が述べたごとく、処女は抵抗する故に殺され、あまたの人妻は抵抗せぬために放免された由、女房の貞操は惨たるものである。もっとも貞操ぐらい何でもない。
 貞操ぐらいで殺されるなんてそんな勘定の合わないソロバンがあるものかとおっしゃるなら、まことにその通り、命に代えても貞操をまもれなどゝ無理難題を言い得るものではない。だから亭主に無理矢理義理を果す必要もないのである。
 ともかく処女は信用ができる。ダンスホールへ遊びに行く娘さんが暴漢におそわれて男の舌を噛みきった、というようなことは、事件の形は物珍しくても、そういう処女の冒険と貞操への回帰は到るところで日夜行われているに相違ない。その点は童貞男子諸君も相当に安心して然るべく、もって自戒せらるべきであろう。
 然し貞節への防衛というものが、単に処女という自然の動物力からきているだけで、教養によって裏づけられてはいないのだから、本当はたよりない。処女を失うともうダメで、女房という鬼になったり、ヤミのチンピラになってしまう。
 処女を高めよ。自然的動物的な処女はだめだ。純潔というものを肉体から魂へうつすのだ。そして女房という鬼をなくさな
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