ったと思う。もう当時は酒が簡単に手にはいらなくて、私が途中にガランドウをわずらわして一升運んでもらった。この一升がきてから後は、論戦の渦まき起り、とうとう三好達治が、バカア、お前なんかに詩が分るかア、と云って、ポロポロ泣きだして怒ってしまった。萩原朔太郎について小林秀雄と大戦乱を起したのである。
 終戦の年の五月の頃であったが、私は焼野原をテクテク歩いて、羽田の飛行場の海へ、潮干狩りに行った。四面焼け野原となって後は、配給も殆どなく、カボチャや豆などを食わされ、さすがに悲鳴をあげたという程のこともないが、半分は退屈だったから、潮干狩りとシャレてみたのである。生れてはじめての潮干狩りであった。
 羽田の飛行場は、焼けた飛行機の残骸や、吹きとばされて翼の折れた飛行機などが四散していた。
 膝までの海を安心して歩いていると、いきなりバクダンの穴へ落ちて、クビまでつかり、ビショぬれになってしまった。それでも二十人ぐらい貝を拾っている人々がいた。海一面が貝のようなもので、いくらでも貝のとれる状態であったが、今はもう、そんなに貝はいないだろう。
 私はシビのあたりまで歩いて行って、ゆっくり大物を物色した。二度空襲警報がでた。心細いものである。二十人ほどの人間がみんなそれぞれ慌てゝいる様子が見えるが、私はシビによりそって、シビの材木のフリをするような方法を用いた。アメリカの飛行機に水遁の術がきくかどうか心細い思いであったが、慾念逞しく、尚も海中にふみとどまってハマグリの大物を物色しつゞけたのである。釣り師の心境というものを若干会得したのであった。
 大きな袋をかついで帰路につき、疲れ果て、巡査にバスはないかときくと、
「今の日本には、足よりも確かな交通機関はないよ、君」
 と、肩をポンとたゝかれたのである。



底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文学界 第三巻第六号」
   1949(昭和24)年8月1日発行
初出:「文学界 第三巻第六号」
   1949(昭和24)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月26日作成
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