きものゝ実在を信じてゐるから、彼は新しきものを軽蔑しても、古きに似ざる故に軽蔑するのではなく、その本当の価値をさぐり本質を見究めてのち軽蔑を明にするといふ文学者本来の思考法によつてをり、その見解の当不当はとにかくとして、態度において、文学自体のもつ新鮮さを失ふことがない。
 荷風においては懐古趣味の態度自体が反文学的であり、彼には新しき真実などは問題ではなく、失はれたる過去をなつかしむといふだけの、そして新しきものが過去に似ないことによつて良くないといふだけの、最も通俗安直な懐古家にすぎないのである。
 荷風の人物は男は女好きであり女は男好きであり、これは当然の話であるが、然し妖しい思ひや優しい心になつてふと関係を結ぶかと思ふと、忽ち風景に逃避して、心を風景に托し、嗟嘆したり、大悟したり、諦観したり荷風の心の「深度」は常にたゞそれだけだ。
 男と女とのこの宿命のつながり、肉慾と魂の宿命、つながり、葛藤は、かく安直に風景に通じ風景に結び得るものではない。荷風はその風景の安直さ、空虚なセンチメンタリズムにはいさゝかの内容もなくたゞ日本千年の歴史的常識的な惰性的風景観に身をまかせ、人の子たる自らの真実の魂を見究めようとするやうな悲しい願ひはもたないのだ。
 風景も人間も同じやうにたゞ眺めてゐる荷風であり、風景は恋をせず、人間は恋をするだけの違ひであり、人間の眺めに疲れたときに風景の眺めに心をやすめる荷風であつた。情緒と道楽と諦観があるのみで、真実人間の苦悩の魂は影もない。たゞ通俗な戯作の筆と踊る好色な人形と尤もらしい風景とが模様を織つてゐるだけである。



底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「日本読書新聞 第三五八号」
   1946(昭和21)年9月1日発行
初出:「日本読書新聞 第三五八号」
   1946(昭和21)年9月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年5月5日作成
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