であったのだろうと考えている。彼の死にあい、さて振返ってみると、実に凄惨な男であったと言わざるを得ない。彼ほど死を怖れた人間も尠いのであろう。彼の自殺といえども所詮は生きたいためであった。彼もそれを百も承知していたが、彼の生涯を覆うた一種奇怪なポーズは、彼を自殺へ走らせずにはやまなかった。全く、彼の奇怪なポーズは私の想像能力をも超えているかに思われる。殆んど現実の凡ゆる解釈を飛びこえて、不可解な宿命へまで結びついているとしか考えられない。
 丁度このクリスマスの前夜に、また長島の危篤の電報を受けとった。ところが、十二月の初めに、四五通のやや錯乱した手紙とここへ載せてある「エスキス・スタンダール」の原稿とを受けとっていたので、又自殺するのだろうという予感を懐いていた。馴れているので驚きも慌てもする筈はない。さりとてこの自殺は私の力でどうすることもできないことが分っているので、ほったらかしておいたのである。寧ろ、これまでの例で言うと、なまじいに留めだてに類することをしたばかりに却って死に急がせる結果をまねいたこともあるので、私としては、ほったらかしておくほかに手段がなかったのである。
 電報によって赴いてみると、今度は自殺ではなかった。脳炎という病気であった。脳膜炎どころの話ではなく、膜を通り越して完全に脳そのものをやられているのだという。むろん完全な発狂である。治っても白痴になるばかりだという。昏睡におちていた。
 医者はこの昏睡のまま死ぬであろうと言っていたが、再び眼を覚した。のみならず、眼を覚すこと十二時間の後、再び昏睡におち、今度こそそのまま死が来るだろうと予定されているのに丁度十二時間の昏睡ののち、またまた覚めた。こうして、生きることが已に狂的な不思議な状態が一週間ほどつづいて、一月元旦、正しく言うと元旦をすぎること五分ののち昏睡のまま永眠した。
 この昏睡の間は体温三十六度であるが、覚めたときは四十一度になっている。その体温表は、丁度過ぐる大震災の地震計を見るようなものである。生きながら、その顔は死の相であったし、視覚も触覚も聴覚も、或る時は殆んど失われていた。腹から下は死の冷めたさであった。頻りに苦痛を訴えて見るに忍びない姿であったが、ことに私は、彼と話を交すために――彼は頻りに私の名を呼ぶので――その口へ耳を寄せる時、殆んど死臭のような堪えがたい悪臭の漂
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