した。天才てえものは、鼻たれ小僧のうちから、広い日本で四千人に一人でなくちゃアいけねえものだ。長助のヘロヘロダマにまさるタマを投げる者なら、人口ただの十万のこの市だけでも四千人ぐらいはズラリとガンクビが揃ってらア。八千万の日本中で何億何万何千何番目になるか、とても勘定ができやしねえ」
「へ。いまだにカケ算ワリ算も満足にできねえな。お前は小学校の時から算術ができなかったなア。どうだ。九九は覚えてるか。な。碁将棋は数学のものだ。お前の子供じゃア、とてもモノになる筈がねえや」
「お前はどうだ。鉄棒にぶら下ると、ぶら下りッぱなしだったなア。牛肉屋の牛じゃアあるまいし、それでも今日テンビン棒が一人前に担げるようになったのはお天道サマのお慈悲だなア。その倅が、クラゲの運動会じゃアあるまいし、職業野球の花形選手になれるかよ。草野球のタマ拾いがいいところだ」
「今に見てやがれ。十年の後には何のナニガシと天下にうたわれる花形選手にしてみせるから」
「十年の後にはウチの正坊は天下の将棋の名人だ。オイ。野郎の背中に塩をぶちまいて追ッ払っちまえ。縁起でもねえ」
 こういうワケで、両家の国交断絶と相成ったのである。

     源床が魚屋の発狂を云いふらすこと

 当節は日本中に豆天才がハンランしているようである。目の色を変えているのは親だけだ。そのほかの誰も天才だとは思わない。むろんそれで月謝を稼いでいる先生も。ヴァイオリンの天才。バレーの天才。歌謡曲の豆天才。どれといって親の熱に変りはないが、特に熱病がハデに露出しているのは野球なぞかも知れない。
「今日の打撃率は三割三分三厘だ。相手のピッチャーは年をくッていやがるから、今日はこれでよしとしておこう」
 なぞと、親が河原や原ッぱの子供野球の監督然とスコアをとって、その日の出来によっては夕食にタマゴの一ツもフンパツしようというコンタンである。
「子供が野球の練習に精をだすのは将来のためだからいいけどさ。お前さんが仕事をうッちゃらかして子供の野球につきあっちゃ困るじゃないか。おサシミの出前を届けに行って、三時間も帰りゃしない。小僧が二人もいるのに、お前さんが出前を届けるこたアないよ。明日からは出前にでちゃいけないよ」
「そうはいかないよ。来年度の新チームを編成したばかりだ。次週の土曜から新チームの県大会の予選がはじまるんだよ。長助の左腕からくりだす豪球が、ここんとこコントロールが乱れているから、ミッチリ落着いた練習をさせなくちゃアいけねえ」
「お前さんが長靴をはいて、自転車に片足つッかけて、オカモチをぶらさげて垣根の外から首を突きのばしているから、落着いてタマが投げられやしないッて長助がこぼしているよ。お前さんが野球の名人で長助に手ほどきしなきゃアならないというなら話は分るけど、五間とタマを投げることもできないくせにさ。オカモチぶらさげて、自転車に片足つッかけて、電柱にもたれてさ。三時間も垣根の外から首を突きだしてるバカはいないよ」
「うるせえな。隣の源次をみろよ。紋付をこしらえたよ。結婚式も借着の紋付ですました野郎が、新調の紋付をきて、商売を休んで、鼻たれ小僧の手をひいて、静々と将棋大会へでかけやがったじゃないか。それで負けて帰りやがった。ざまアみやがれ。オレが三時間ぐらい突っ立ってるのは何でもねえ」
 ひと月ほど前に、床屋の正坊が新聞にでた。県の将棋大会というのがあって、各町村から腕自慢が百人ほども集った中に、最年少の正吉もいたのである。二回戦で敗れたが、特に敢闘賞をもらった。その記事と、対局中の写真までのったのである。
 町内から将棋の天才少年が現れたというので、ひとしきり評判がたった。面白くないのは金サンである。
「将棋なんてえものは大人も子供も変りなくできるものだ。将棋盤を頭上に持ち上げて我慢くらべをするワケじゃアないからな。野球は、そうはいかねえや。まず身体ができなくちゃアいけねえ。巨人軍の川上という岩のように立派な身体の選手が、力《りき》が足りない、もっと力が欲しいと嘆いてる始末じゃないか。まず第一に長助の背丈を延ばして、ふとらせなくちゃアいけない。滋養の物を三度三度食べさせて、毎日欠かさず風呂へ入れて――」
「ふやかすツモリかい」
「バカヤローめ。草木も水をかければ生長が早い。根が四ツ足のケダモノでも、水中にいるからクジラもカバも図体がひと廻りちがってらア。水てえものは、ふとるものだ。いかに商売とはいえ魚だけ食べさせてちゃァ、大選手の身体はできない。牛肉とモツとタマゴを欠かさず食べさせなくちゃアいけない。床屋の鼻たれ小僧に負けちゃア、御先祖様に顔向けができない」
 こういう心掛けでせッせとやるから、子供は大喜びである。うまい物を食って、存分に野球がたのしめて、学問なぞはできなくとも親の文
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