海軍大佐じゃアね。何をやっても、たいしたことはない」
余を侮辱するに、これ以上の言葉はないのである。
いかにも余は戦争にも行けなかった海軍大佐であった。太平洋に大戦起るという直前に、余は予備役に編入された。猫の手も借りたいほどの重大な時に当って予備に編入されるとは、よくよく無能と見込まれたものか。まだしも少将に進級しての予備役ならば慰めるところもあったのだが、余は茫然自失、あまりの恥辱に自決を考えたこともあった。
その後、心をとり直して海軍水路部というところに一介の雇として奉職したが、雇であれば予備大佐の肩書も物を云わない。わが子のような中尉少尉に叱られながら、これを修養と心得て、堪えに堪えて終戦に至った。軍人たる者が未曾有の大戦に遭遇しながら、官を解かれ、大戦に参加を許されないとは何たる笑うべきことか。子孫にも語り得ざる歴史。自嘲あるのみである。
羽生が余の最も怖るる言葉を放ったので、余は彼の心事を訝かった。仇敵たりとも多少のいたわりはあろうものを。面と向ってこの言葉を放つからには、よくよくのことがなければならぬ。しかし余にはその心当りがないのである。
「私が小学校へ行ったことが、それほど君の気にさわる理由が分らない。君は婦人にたばこを与えた男が悪人だと考えるような変った習慣があるのだね」
「まア、そうですな。村長が村で名題のあばずれに呼びだされてたばこを与えに出かけるのと同じぐらい変った習慣ですよ」
「時に、小学校のバラック校舎には床が張ってないそうな。ガラスも大半われているが、あれを何とかできないものかね」
「よくもそんなことが云えましたね」
彼の血相が変った。一と思案のていであったが、何事か思い決した様子で、書棚から何冊かの書類を探しだしてきた。
「まずこれに目を通していただきましょう。あれだけのバラックにも私の血がにじんでいるのです。もしも私というものがいなければ、あのバラックすら建つ道理がないのですぞ。どこに金があるか。金がないのに、あのバラックがどうしてできたか」
彼はこう喚きながら、尚も書棚を往復して多くの書類をとりだした。余の机上にはたちまち堆《うずたか》い書類の山ができた。
「まず村費をごらんなさい。いくらの収入があって、いくらの支出があったか。次に小学校新築の特別収入。いくらありますか。そしてバラックにいくらかかったか。まだ約半額は
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